07 国連

2008年11月 3日 (月)

グローバルファンド

 グローバルファンドについての勉強会を開催した。
 いろいろ話したのだけれど、ポイントは次のよ

・事務所はジュネーブの本部のみ。現在、400人くらいいるグローバルファンドの職員のうち、日本人は一人しかいない。保健の専門家が多い。
・資金供与の業務に専念。ただ、評価には積極的で、供与額の5%から10%をそのために使うことが目標とされている。
・かなりまとまった資金量のため、受け取り国からは歓迎されている。小さなものでも、100万ドルくらいの供与額となっている。イヤマーク資金は例外的にしか受け取らない。
・職員はWHOの職員のステータスを持っていたが、本年末をもって独立し、スイスの民間団体となる。独立については、グローバルファンド、WHOの双方に基本的に異存がない。
・独立の結果、国連の年金基金などから脱退することになる。また、レセパセも発給されなくなるが、スイス国内では特権免除を受けている。出張では一般旅券を使用することになる。これは日本人とっては問題はないが、一部の国の人にとっては大変である。

 グローバルファンドが独立するのはいいけれど、国連関係機関でなくなり、日本人を増やそうという機運が日本側にしぼんでしまうのが少し心配である。日本も数百億円単位の拠出を行っているので、もう少し頑張ってほしいところである。

| | コメント (0)

2008年3月24日 (月)

JPOの名簿・・・

 国連のJPOとして勤務した経験のある人たちの名簿を作成しようと思い立った。
 個人情報保護の関係もあって、政府がとてもやりにくくなっているから、である。

 名簿を維持することは、それなりに作業が必要だけれど、それ以上に意義はある。名簿があれば、集まったり情報交換するための基盤になる。そう、ネットワークのためのインフラになりうる。
 特に、国際協力の分野のように、多くの人がてんでばらばらに勤務している場合にはそうだ。同期のネットワークなども、相当の努力がないと維持できない。

 そこで、参加対象を同期にこだわらずに広げつつ、自発的参加を基本にすることにして開始した(しつつある。)。

 どれくらい集まるかわからないけれども、まあ、やってみよう。

| | コメント (0)

2008年3月19日 (水)

国連への拠出が第2位ではなくなった

 ユニセフの職員(非日本人)とお話をした。
 日本のユニセフへの政府による拠出額は、10位くらいなのに、未だ2位くらいの気持ちでいるようだ、なんていう話をしていた。
 彼は、そうは言わなかったけれど、滑稽な姿が眼に浮かんでしまう。

 国連の通常予算・PKO予算等への拠出は、義務的なものだけれど、日本の拠出は16パーセント余りで長年2位であり続けている。PKO予算等が増え、ODAの総額が減少する中で、ユニセフなどへの拠出額が減少してしまうのは必然の成り行きである。

 ODA小国としての振る舞いを考えないといけないのかもしれない。

 これまでは、無色透明に近いお金を出して、「国連やユニセフを支えています」ということだけでも、額が大きいこともあって存在感を示せていたけれど、このまま無色透明に近いようだったら、単に「いなくてもそんなに困らない国」ということになってしまいかねない。

 こういう時に必要になるのは、やっぱり人材育成ということになるんだと思われる。

| | コメント (0)

2008年3月18日 (火)

2008年国連競争試験(筆記試験)実施状況等

 国連競争試験の過去問づくりをしている。
 とりあえず、2008年度分がまとまった(協力してくれた方々には感謝。)。

 こういう作業というのは、その国の出身者を国連に増やそうとしている国では、政府がやっていたりする。対策講座をやっている国もあったりする。
 日本政府はそうしたことはしない。実施協力者である以上できない、という見解を示しているようである。

 この状態を放置していると、日本人(だけ)が不利!ということにもなりかねない。したがって、国連とも外務省とも立場上関係のない人(私)がやっているわけである。

 それを勘違いして、抗議をしてくる日本人がいる。
 例えば、「外務省に問い合わせても過去問はない、と言っているのに、HPに載っているのはどういうことか。」といったものである。また、「模範解答を掲載すべきだ!」という抗議もあったりする。自発的活動にケチをつけられてもねえ・・・。
 あとは、私の管理しているMLに試験の直前に「情報をください」という投稿を行うと、「書類審査で落ちた人(筆記試験を受けられなかった人)の気持ちがあなたにはわからないのか!」という抗議もあったりする。

 この歳になると、こういう抗議も、「いろいろな人がいるなー」と余裕で受け流せる。興味深くさえある。

過去問はこちら。
http://homepage3.nifty.com/clubjpo/2008NCE.htm

| | コメント (0)

2007年11月22日 (木)

建物の構造をなんとかした方が・・・

 国連本部の建物は、幅が狭く、ガラス張りで、南北に長い、ってのが、一つの問題かと。
 夏の場合、午前、日が当たる東側の部屋は暑いので冷房をガンガンかけるのだけれど、西側では、日が当たらず冷房がきついため、とっても寒く、足元のヒーターをつけていたりする。午後はその逆。

 ほんの目と鼻の先で、冷房と暖房が同時に使われるのは、とっても無駄ではないかい? 

|

2007年11月 8日 (木)

国連との付き合い方(EUがうらやましい)

 イギリスやフランスは、日本よりも国連代表部の職員が少ない。しかし、会議場では日本よりも存在感がある。権限の委譲がなされていて、効率的に仕事をしているから、というだけではない。イギリスやフランスには、EUというほとんどの利益を共有できる強力なグループがあり、EU各国で協力し合うことが可能である。それ以上に、持ち回りのEUの議長国が頑張って対応してくれる。EUの議長国になったら、本省から支援がくる。
 したがって、フランスは、自国が特に問題と考えていることだけ、対応すればいい。

 日本は、1国ですべてを担当する。恒常的な連合を組む相手がいない。そういう状況に置かれている国は案外少ない。しかも、日本は単独行動主義を取っているわけでなく、組めるものなら組みたいと考えている。
 要するに、東アジアの国際秩序や、経済力や政治体制の違いなどが、グループ形成を阻み、代表部の仕事を忙しくしてしまっているわけである。こればっかりはどうにもならない。。。

|

2007年11月 6日 (火)

国連の方がまともかも(定員)

 戦後、日本は、社会保障などの行政サービスを充実させながら発展してきた。行政サービスの充実は、行政サービスに従事する公務員の仕事の増加を意味するけれども、国家公務員の人数はほとんど増えなかった。地方公務員は漸増しているけれども、戦後になって初めて本格的に地方自治が始まった上、人口もここ60年で倍近くまで増えてきており、増えない方がおかしい。国家公務員が増えなかったのは、定員法のおかげである。この法律のおかげで国家公務員は増えなかった。この法律の基本は、定員の範囲内で人員を融通することである。外務省は増え、農水省はかつての半分程度に減らされてきている(しつこく繰り返すけれど、人口に対する公務員数の比率(軍人を除く)は、日本はアメリカの半分以下である。特殊法人等の人数を増やしても日本の公務員の人数はたかが知れている。)。
 定員法により、政府に新しいマンデートが与えられても自ら実行することは困難になった。そのため、政府は多くの特殊法人や公益法人をつくることになった。これが天下りなんていう人事慣行と結びついているものだから、問題が複雑化している。いずれにせよ、新たに特殊法人等を作るのはほぼ不可能でそれどころか廃止される、というのが現状である。
 財政の危機的状況、定員法、特殊法人等の新規設置ができないこと、などを勘案すると、新しいことに果敢に取り組むという気持ちがなくなってしまう。これが現在の霞ヶ関の人たちの大方の気持ちかと思われる。その上、公務員批判に晒されているものだから、やる気を出して仕事をせよ、というのは無理である。

 国連の場合、定員という考え方はない。マンデートに従って人員を配置するという考え方である。新たにマンデートが生じ、それに財政的な裏づけ(人員を含む)が必要な場合には、審査する機構が曲がりなりにも存在している。それによって、マンデートと予算と人員につながりが確保されている。マンデートが加えられて、予算はそのまま、なんていうことは、国連にはない。日本の場合は、政治の立場からすると、マンデートは加え放題、予算と人員はそのまま、という状況である。いいのか?
また、適正人員の配置という考え方が徹底している。例えば、PKOの改革についてのブラヒミレポートは、つまるところ、PKOの職員が普段残業せずに仕事をできる人員は何人か、というところが最も大きなポイントの一つだった(コンサルタントが週の残業時間を調査していた。)。

 日本政府も、マンデートとそのための資源という観点から全体の定員を見直す、ということを行ってはどうか。定員を増やしたくなければ、一部のマンデートを政治に廃止してもらえばいい。これまでのように、「とにかく人数を減らす」というやり方で政治主導を発揮するのはもったいないし、行政官のモチベーションや行政サービスの質の劣化が進んでしまう。できれば、政治主導は、「やらなくていいことをやめさせる」ってところに発揮し、その結果として公務員が減る、という順序だといいのだけれど。

|

2007年11月 5日 (月)

国連の方がまともかも(マンデート)

 日本には法律が1800くらいある。だんだん多くなっている。法律が多い、ということは、行政府の仕事が多い、ということとほぼ同義である。したがって、行政府の仕事はどんどん累積していくことになる。行政府の仕事は、民間部門の仕事とパラレルになっている部分も大きいので、行政府の仕事が増えると、多くの場合、民間部門の仕事も増える。やれやれである。
 国連の場合、ものすごい数のマンデートがあるし、国連総会だけで、毎年300くらい決議がある。決議の多くは、繰り返しが多いので、新しいマンデートは案外少なかったりするけれども、いずれにせよ、マンデートは増えていく。これで国連が困るかというと、そうでもない。国連はプログラム予算なので、資源が割り当てられていないことは、やらなくてよい。加盟国が、「どうしてやらないんだ!」と批判したとしても、「資源が割り当てられていない」と開き直ることができる。これが常識的対応だと思われる。
 大手の新聞の一部は、「公務員は仕事が増えたら人を増やせという。けしからん。非常識だ。」と批判する。公務員の仕事のほとんどは、法律で定められているからやっているものである。つまり、公務員は民間企業と違って、新しい仕事ができた際、従来の仕事を勝手にやめるということはできない。このことを忘れた議論は不毛である。なんとかならないか。

|

2007年10月31日 (水)

国連の方がまともかも(調整)

 霞ヶ関においける調整コストは膨大である。府省内も大変だし、他省庁との関係だともっと大変である
 あるとき、旧労働省で興味深い決裁文書をみせてもらった。その決裁文書は、福祉施設を建設するためのものだった。驚いたことに、その決裁文書には、50以上の判子が押してあった。旧労働省には、規制が多い上、小さな補助金からの支出を求める場合もあり、それらの担当部局との調整ができないと施設の建設はできない。
 事前説明の上、決裁文書を回す、という慣例があるわけだから、何十人という人に説明して回る、ということになる。もちろん、省内での説明の前に、ニーズ調査や地方自治体との協議がある。
 50以上の判子は、別に珍しくないとのことである。それに付随する作業量といったら膨大である。
 この膨大な作業のなかに、イニシアティブとかモチベーションとかいったものが消失していくものと思われる。

 国連の場合、お金があるところがやる、勝手にやる、非効率という批判が高まったら、やっとそこで調整する、そんな調子である。そもそも、霞ヶ関のような手続きに我慢できる人はいないと思われる。その方がむしろ人間的だし、創意工夫も出てくるし、長期的にみたら無駄が少ないような気さえする。

 ゼネラリストによる専門家の悪口として、「専門バカ」という言葉がある。一方で、「調整バカ」という言葉を聞くこともある。理念がなく、調整がつきさえすればいい、という仕事ぶりを指すものだろう。なんとかならないか。

|

2007年9月19日 (水)

国連の基金及び計画の人事

 あまり知られていないけれど、国連事務総長は、もともと職員の任命(採用、昇進、異動など)を好き放題に実行できていた。
 しかし、総会決議で、職員の同意等を前提に異動(昇進でなく横の移動)は自由にできても、採用・昇進に関しては、ルールに沿った対応が求められている(高級公務員及び事務総長室職員を除く。)。
 一方、事務総長から権限の委任を受けている基金及び計画の長については、総会決議による「好き放題の制限」にかからず、「好き放題」できている。本来は、総会の趣旨に沿って「好き放題」を自制すべきところではあるものの。。。(基金及び計画の執行理事会は、長による勝手な採用、昇進を国連事務局と同様に制限する決議を採択すべきだろう。)。

 つまり、基金及び計画では、長による恐怖政治を敷くために人事を使う、ということが可能である。
 ビジョンやリーダーシップがしっかりしたトップだとわざわざ恐怖政治を敷く必要はない。
 ビジョンやリーダーシップで引っ張っていた良い例としては、ユニセフのグラントやUNHCRの緒方さんなどを挙げたいところである。
 一方で、恐怖政治を敷くために人事を活用していたとしか思えない例がたくさんある。

 ビジョンやリーダーシップなど「長として必要な能力」を備えた人ではなくて、「長になるための能力」に長けた人が長になってしまうのは、仕方のないことだとは思うけれども。

|

2007年8月 6日 (月)

アフガン退去

 外務省が日本のNGOに対しアフガンからの退去を求めたとのことである。外務省から資金の提供を受けているNGOは退去せざるをえない。これで日本のNGOのアフガンにおけるほとんどの活動が停止することになるといっていい。
 理由は、タリバンによる韓国人の人質事件らしい。

 邦人の安全にかかわる問題が起きた場合に多く方面から寄せられる激しい批判を想像すると退去を命じる外務省の気持ちはわかるけれども。

 しかし、これはタリバンの思う壷ではないか?人質事件を起こしたら一部の国の対応が怯む、ってことがわかったら、さらなる人質事件の誘因にならないか?タリバンだけでなくて、他の紛争国でも同じことが起きないか?

 こういう場合こそ毅然と対応するのが国際社会の常識のように思うのだけれど。

|

2007年5月21日 (月)

国際機関のトップ

 国連専門機関のトップを8年務めていた方と少々お話をする機会があった。
 久しぶり、である。
 共通の知人であるところの国際機関職員が話題になった。

 日本人の国連専門機関のトップ経験者は、3人くらいしかいないと思う。大変貴重な経験をされたわけである。
 しかし、色々お話を聞いていると、そういった方の経験を、例えば大学が、どう料理していくか、よく分かっていないようである。お話をありがたく頂戴する、だけではもったいないのではないか。

 再来月、また会う機会があるかもしれない。何か提案してみたいような気もする。

|

2007年1月16日 (火)

レセ・パセ

 国連職員は、公的な旅行ではレセ・パセというパスポートを持っていくことになっている。しかし、多くの場合、出身国のパスポートも携帯していく。
 日本人の国連職員から、「レセ・パセを見せてもパスポートコントロールが納得してくれないけれど、日本のパスポートを見せたらすぐ通してくれた」なんていう話を聞いたりする。なんとなく、国連の権威を信じている人たちからみたら(私は違うけれど)、意外なことだろうと思う。

 レセ・パセは、だいたい70000通発行されている。
 しかし、統一的な管理がなされておらず、正確にどれだけ発行されているのかよくわからない。しかも、本来、ミッションが終了したら返すはずなのだけれど、そのやり方を守っている機関は、WMO以外にない。
 また、紛失があっても、届けない場合が多かったりもする。日本だったら、ちゃーーんと、紛失したパスポートは官報で公告されるし、国際刑事機構にも通報している。しかし、国連では、紛失したことさえしっかり把握しないし、国際刑事機構に届けることもしない。

 こういうずさんな扱いをしていたら、レセパセが信用されなくなるのは当然だろう。各国のパスポートコントロールも国際刑事機構も国際民間航空機関も困ったり心配しているわけである。
 やれやれ、である。

|

2007年1月 7日 (日)

国連の予算規模

国連の予算規模って、だいたいこんな風である(2005年支出実績)。

全体           3兆円
 うちPKO        0.5兆円

UNシステム(PKOを除く) 2.5兆円

ユニセフを基準に考えると次のようになる。
UNICEF  = UNシステムの1/10

UNDP  = UNICEF×2
WFP  = UNICEF×1.7
WHO   = UNICEF×0.7
UNHCR  = UNICEF×1/2
UNFPA  = UNICEF×1/4

 たった3兆円で、軍を派遣し、空や海の交通の安全を規制し、難民や労働者を保護し、環境の条約を作り、特許の国際化を進め、開発支援や人道支援を行い、食糧を配布し・・・なんてことをやっている。
 公共部門で働く場合、必要なのは、お金よりも知恵、ってところなんだろう。

|

2006年12月25日 (月)

ユニセフ、仕事、逝きし世の・・・

 NHKのプロフェショナルにユニセフ職員の杢尾雪絵さんが出演しているので再放送を見た。
 なかなか感動モノだった。若いアナウンサーが涙を見せていたのは「プロなのに」とも思ったが、それはそれでよかった。「(仕事とか交渉をしているときに)うしろには子どもがいる」とか、「子どもは待ってくれない」とか、とにかく子どもをと大切にしようと考えながら仕事ができるのは、大変だろうけれど、ある意味、幸せなことなんだろうと思う。

 社会を評価するのに、どれだけ子どもを大切にしているのか、ということが一つの主要なメルクマールになると思う。残念ながら、多くの途上国ではそうも行かないし、先進国だって濃淡がある。私としては、この社会が、子どもをもっと大切にする社会であってほしいと思う。

 話は飛ぶけれど、「逝きし世の面影」という本がある。ニューヨークに赴任する前にたまたま読んで感動したのだけれど、引越しのごたごたでなくしてしまった上、書名まで忘れてしまっていた。たまたま、渥美東洋先生の話を聞いたときに出てきて思い出し、アマゾンで買って読み直している。日本において、1750年頃から1850年頃にかけて存在した一つの文明が存在し滅びたさまを描いている。
 滅びた文明の一つの特徴は、子どもをものすごく大切にしていることだった。子どもを社会の中心に置いて社会を組み立てているとさえ思えてくる。作者は、「子どもを可愛がるのは能力である。・・・それはこの国の滅び去った文明が、濃淡の差はあれ万人に授けた能力だった。」と書いている。

 こういう社会だったら、貧しかったとしても、ユニセフがなくても大丈夫!って気がする。

|

2006年12月18日 (月)

国連の人事管理改革

 国連改革というと、安保理改革に目がいくけれど、それだけでなく、国連の管理に関する改革も総会直接付託事項として取り扱われていたりする。

 それとは別に、いろいろ批判があるものの、地味に行われている改革がある。人事管理改革である。
 マレーシア人のサリム人事局長がイニシアティブをとって、2000年の第55回総会に人事管理改革に関する10の提案を行った。私の目からみて、「これはいける!」と思わせる内容だった。サリム局長が第5委員会に報告する際には、高揚感さえ味わった。

 しかし、会議では、サリム局長の提案がもみくちゃにされた。彼女の直属の部下が会議中に切れてしまい、イヤホンを叩きつける、なんてこともあった。
 不十分ながらも第55回総会の会期中に決議の採択に漕ぎ着けたのだけれど、先行きはとっても心配だった。

 と思っていたら、第57回、第59回、第61回と人事管理改革に関す報告書が提出されてきているが、第55回にサリム局長が提案した10の提案が、6年を経てもそのまま生き残り、実行に移されてきている。
 
 いやー、最初に提案を書いたサリム局長は本当にすごい、と思う。

|

2006年11月30日 (木)

実績と昇進

 国連の職員に人たちと話していて、昇進になかなか恵まれない人の愚痴を聞くことがよくあった。
 しっかり働き、成果も出し、上司も同僚も評価する。しかし・・・、というわけである。

 いろんな難しい事情が存在する場合も多いけれど、その人の資質としか思えない場合もあった。そういうとき、人事の常識がポロリと口に出そうにもなった。

 その常識というのは単純で、実績のある人と管理職になるべき人は違う、ということである。
 実績はあっても管理職に向いてない人はいる。実績はなくても管理職に向いている人はいる。組織のためには、後者が管理職になってもらった方が良い。

 ただし、国連の組織の中でも、長期雇用を前提と考えている組織は、「実績のある人=管理職になる人」という等式が成り立ちやすい。しかし、多くの場合流動的であり、この等式は成り立ちにくいといえるだろう。
 日本は、「実績のある人=管理職になる人」という等式が成り立ち過ぎている社会である。日本における「どうしようもない上司」の発生原因がここにある(国連は国連の異なる発生原因がある。)。いずれにせよ、日本の常識で国際社会を生きていこう、なんて思わない方がいい。

 さて、実績のある人と管理職になるべき人の違いはどこにあるのだろうか。私は、一つには、「自分を客観視する能力」ではないかと考えているがどうだろう。
 なお、この能力って、頭の良さがかえって邪魔になりかねなかったりするので面白い。

|

2006年11月28日 (火)

交渉者

 先日の勉強会で、百戦錬磨のスピーカが、国連などの会議において、日本の代表はその場での判断ができず、会議でプレゼンスの発揮できない、と指摘していた。それは日本の官僚組織のシステムや文化が原因であるとも。

 何でも本部にお伺いを立てる慣行などを考えると、システムや文化が原因になっているといえそうである。

 しかし、日本のやり方でもやりようはあると思う。私の少ない経験に照らしてみても、交渉者が十分に職責を果たしていないような気がしてならなかった。
 単に本部からの言うがままであれば、誰が交渉者になってもさして変わらない。交渉者(ネゴシエータ)ではなく、単なるメッセンジャーに過ぎない。これではいけない。

 交渉者は、本部からの言うがままだったり裁量が小さいことを嘆く前に、本部と裁量を大きくするための交渉をすべきである。交渉者は、会議場で各国代表団に相対し議論をすることばかりに気を取られてはいけない。会議場の雰囲気・流れをしっかり本部に報告し、先を読み、本部と落しどころなどを交渉していけば、自ずから裁量の範囲は広がるだろう。
 また、よく検討した末であれば、予想できない流れになっても、会議を止めてしまえばいい。そのときは、多くの国も止めることに納得する。

 そう、交渉者は、目の前(会議場)と後ろ(本部)との二正面作戦を強いられていると考えるべきである。そのように心得て対応していったら、「日本の代表はその場での判断ができず、会議でプレゼンスの発揮できない」という状態を克服できるのではないか。
 何事も心がけ次第である。

|

2006年11月27日 (月)

国連システムの予算

 国連システム(世銀・IMFを除く)の予算支出は、全部ひっくるめて、2005年に約220億ドル(2.5兆円くらいか)である。
 これだけの額で、PKO部隊を展開し、保健、労働、海運、情報通信などの国際的・法的秩序を支え、難民を保護し、技術協力を実施している。

 一桁くらい増やしても良さそうな気がするが、なかなかそうもいかない。
 なんとかならないか。

|

2006年11月15日 (水)

無国籍

 無国籍者という人たちがいる。
 国連にもいる。出身国が書いてある名簿に、Statelessと書かれている。国連事務局に10人以上いたりする。しかも、地理的配分の原則に服するポストに勤務している人もいる。どの加盟国にも属してない人が勤務しているのは、興味深い。
 なお、ある知り合いは、二重国籍なのだけれど、片方の国籍がオーバーレプリゼントで、もう一方がアンダーレプリゼントなので、アンダーレプリゼントの方で国連に国籍登録をしている。

 話は変わるけれど、UNESCOは、アメリカが脱退したとき、アメリカ人職員の解雇を検討したけれど実施しなかった。ただ、採用にはとても慎重な態度をとった(禁止していたのかもしれないけれど、なにせ例外が多い組織なのでよくわからない。)。
 話のついでだけれど、国連で中国の正統な政府に変化があったとき、多くの現台湾「国籍」(?)の職員が解雇された。今では少なくなっているけれど、当時は政府からの派遣職員が多かった。今でも国連の職員規程には、意味がよくわからない派遣職員についての規定が残っていたりする。

 なんでこんな話を書いたのかというと、子どもから、無国籍の人っているの?と聞かれ、そういえば国連に国籍別名簿があったな、と思い、一緒にチェックしたのがきっかけである。

 ついでに、何となく、無国籍者は、最後、つまり、Zimbabweの次に書かれているかな、と思いチェックしたらなかった。No Stateかな、と思い、名簿でNの辺りを探そうとしていたら、子どもに、無国籍ってStatelessでしょ!と厳しい指摘を受けてしまった・・・。やれやれ。No State(無・国)なんて考えるのは、思い切り日本人英語だ。
 日本の名簿だったら、「その他」というバスケット・クローズを用い、無国籍者を名簿の最後に置きそうだけれど、それとの対比を考えると興味深いがどうだろう。

|

2006年10月30日 (月)

国連に関する質疑応答

 2年ほど前、某大学で講義をした際の質問と回答の記録をとっていたのですが、私の(偏った)国連観が表現されていて興味深いので、掲載します。批判が欲しい。


●国民が知らないところで国連の会議が行われているのを何とかするにはどうすれば?
○WHOの会議などは、旧厚生省が、外務省とともに対処方針を検討し、時に会議に参加しているが、これは参考になる。監査は会計検査院、というように、可能な限り国内官庁を絡ませることは一案だと思う。

●日本人を増やすのに、どういう採用方法をとるべきか。
○まず、派遣スキームの間口を広げるのと、派遣後の仕事の機会を広げることが必要だと思う。実際に国連で働くことで、必要な技能なりスキルを習得できる。

●日本の拠出を減らすことが可能か?
○可能だと思うが、選択肢として適当かどうかの問題がある。

●国連事務局の日本人数は、11パーセントが適当ということについて
○枠ではなく、目標値である。この枠に達していない国の若手にのみ、国連事務局に入るための試験(国連競争試験)の受験資格がある。

●「金をだして、口をださない」のは、何が原因か。
○会議で発言するのは、しんどいし、よく勉強しないといけないので、納税者なり国会議員なりがうるさくなければ、発言しない方が楽であるのは、明らかである。それを防ぐためには、国民がよく国連を理解することが必要だと
思う。

●会議でのプレゼンスを確保するにはどうすればよいか?
○日本の国連外交の効率化により解決することが適当だと思う。たとえば、組織の記憶(Institutional Memory)があれば、着任後からどんどん継続性のある有益な発言をすることは可能である。組織の記憶が、十分に蓄積されていないことが問題と考えている。

●国際公務員が日本に帰ってきて職がないのが問題ではないか?
○そのとおり。せっかくの知識を日本の国際協力に活用していくべきだと思うが、そのようなシステムがないことは問題である。無理をしてでも、そのようなシステムを作るべきだろう。

●NGO委員会で中国が力を振るっていることについて。
○国連では、決定に当たってコンセンサスを重視する。つまり、一国が強硬に反対すれば、とても時間がかかる。中国は、たとえ一国であっても力を持つことができる。


●国連の委員会の参加資格について
○選挙により選ばれる場合と、加盟国が自由に参加できるものがある。総会や総会の下の主要委員会は、加盟国が自由に参加できるが、NGO委員会や人権委員会などは、選挙により参加資格が決定される。

●国連を機能的、中立的にする方法について
○この場合、会議と事務局への対応の2つに分けられる。
 会議については、日本が率先して、各国の偏狭、独善な意見を抑えていくことが適当だろう。幸い、日本を敵とみなしている国は極めて限られているので、適役と考えられる。アメリカの場合、何か発言しただけで、反発する国はいくらでもある。
 事務局については、日本がその動き方に目を光らせることが重要である。

●外国のNGOに入るのはお勧めか?
○外国のNGOでまともなところは、博士がごろごろしていたりすることもあって、入るのが難しいことは念頭に置いておく必要がある。

●日本のNGOが活躍するための障害について
○資金面の問題、国民の支持などいろいろな障害があると思う。

●巨額な分担金を出すメリットは何か?
○国際社会からの信頼だろう。
 ただし、一部先進国は、可能な限りリターンを得ようとしている。国連の中心はフォーラムだが、開発援助という機能もある。開発援助の機能も含め、「1ドルだして、1ドル回収する」というような方針をもった先進国がいるのは、批判的に評価していい。

●北朝鮮問題について
○北朝鮮問題が本格的に取り上げられるようになったのは、最近のことである。安全保障上の問題でも、印パ紛争などは、国連では、本格的には取り上げられていない。


●大金を出すことによって、国連にコミットしていく義務が二本に自動的に生じるのはおかしいと思うがどうか?
○心がけ次第である。大口拠出国、分担国がうるさいことをいわなければ、事務局の緊張感がなくなり、何もしなくなる。学校教育で達成度を評価しなくなるようなものである。そういったことを許容する国家でいいのか、という問題である。

●国連は自己利益の追求の場か?
○基本的にはそのとおり。各国が自己利益を追求しないと、フォーラムとして機能が失われる。つまり、世界の実情を反映した、納得性の高い決定が行われなくなる。
 ただし、せめて先進国は国連を利用して金もうけをしようと考えるべきでない。国連が何かを買おうとする場合には、できるだけ開発途上国から買う方がその国の発展にとってよいと思うが、そこに先進国の一部が「俺のところで買え」と強制しようとするのは見苦しい。

●顔の見える貢献ができないのは、なぜか?
○国際協力に関する知識に乏しい、人材が少ない、国連といったフォーラムで政策を実現していく技に関する知識も乏しい、などいろいろあると思う。

●人材が育たないのは、大学の教育に問題があるのではないか。
○大学にも問題はあると思うが、実務教育をしていないことが原因とは言いにくい。
一般的には、実務能力は、仕事を通じて習得していく。大学では、基礎的な素養を身につけることが第一に考えられていい。たとえば、イギリスで外交官になろうと思えば、歴史や哲学を専攻すべき、という話もある。

●今後の日本の国連への立場
○近年一貫して、安全保障理事会常任理事国になりたい、と主張してきている。安保理理事国になって何をしたいのかが明確でないことが問題だと指摘する向きもありますが、平和構築に力をいれる方向に自然な流れとして動いている以上、日本の出番はあると感じる。

●人材育成の方策について
○国際協力に携わる人のキャリアパスを用意すること、これに尽きる。
 現在は、「魔の5年間」という言葉があって、国際協力を志す人は、30代後半にその分野での職がみつからず、結局、別の分野に転進することが多くなっている。30代後半以降もそれなりに働いていける場所を用意するようにすることが必要と考える。

●国連は高齢化しているか?
○高齢化している。職務経験が5年くらいで十分なポストに、20年くらいの豊富な経験をもった人が応募した場合、後者を採用することになるなど、高齢化が進んでしまう採用システムになっている。ただ、人事管理改革で、経歴重視から能力重視の採用をするようになってきているので、少しは緩和される方向に向かうとみている。

●国連のお金の使い道を国民に知ってもらうにはどうすればいいか?
○国会などで取り上げることが必要だと思うが、それ以上に、日本人を増やすのが手っ取り早いと考える。日本人がいないと、日本に情報も伝わりにくい。

●日本が国連に与えるよい影響は?
○安定した財政的基盤を支えていることが第一に考えられる。これは、国連の活動を安定化させることに意義がある。一方で、黙っていたら、事務局が慢心する原因にもなるので、気をつける必要がある。

●日本人が国連のために金を使うことがよいことと単純に考える理由は何か。
○単に実態を知る機会が乏しいことが原因だと考えられる。

●日本の発言力について
○たとえば、PKO特別委員会での発言力は小さい。PKO特別委員会は、たくさんの軍隊を出しているところがえらい、という考え方が支配している趣です。
 個別の委員会ごとにそれぞれ理由が違う。なお、第5委員会(行財政委員会)、人権委員会等では、かなりの発言力を持っている。

●拠出金が多いので発言権を拡大すべきというのは、問題ではないか?
○そのとおり。ただし、拠出金が多いと、自然に発言権が高まるので、それを国際社会にとってよい方向に使わないとすれば問題である。
日本は狭い国益に基づいて動く必要がないので、その発言権を利用して、国連がよりよい方向に動くよう努力するのが先進国としての義務だと考える。

●国連の効率化にどのような方策があるか?
○国連には、3つの監査機構がある。加盟国が、これら機構のレポートをよく読み、理解し、指摘された問題が2度と起こらないように監視していくことが近道である。

●アメリカの国連を軽視するような考え方についてどう思うか?
○アメリカの行動を抑制させるための手段として国連を用いようとする国が多くある場合、アメリカは国連を軽視する方向に動く結果になるのはやむを得ない部分もあるだろう。

●国連職員の給与について
○ニューヨークの場合、アメリカ連邦公務員でワシントン勤務の職員の1.3倍程度である。大学院卒業後、すぐに採用されたと仮定して年収6万ドルくらいである。ただし、昇給幅はそんなに大きくない。

●フォーラムとしての国連の能力向上について
○総会の活性化ということは、近年よく議論されている。安保理改革も、政策形成能力、合意形成能力の向上も理由のひとつである。

●日本人は日本にいるのが楽で好きだから日本人職員が少ないのではないか?
○国際協力を志望する日本人に十分な機会や支援を与えた上で日本人職員が少ないのであれば、成り立つ議論だと思う。
国連の職員には多数のタイプのポストがあるが、そのなかには、厳しい選考手続きがあるポストと、成績に基づかず情実での採用可能なポストがある。日本人は、前者に多く、後者に少ない傾向にある。
 例えば、PKOミッションは情実での採用が可能であるが、そこへ20パーセントの資金を提供しているのにもかかわらず、1408名中日本人5名ということになっている。
 厳しい選考手続きに破れた日本人はわんさかいるわけで、そういう人たちを情実での採用が可能なポストに送り込むくらいのことはやるべきだ。

●困っている途上国の人を本気で助けたいという純粋な気持ちだけで国際協力に携わることができると思いますか?
○できると思うが、国際協力を実施する機関も官僚組織なので、手続きとか書類の作成が仕事の中心になる。純粋な気持ちがために、こういったことにフラストレーションを感じることは多いと思われる。

|

2006年10月25日 (水)

極私的「知的貢献」

※注意:自慢話を聞きたくない人は読まないでください。

 国連代表部に勤務していたときは、国連行政に関する委員会である国連総会第5委員会を担当していた。特に、人事管理は、私一人が担当していた。
 国連の人事制度は複雑なのだけれど、折しも、人事管理改革の真っ只中で、会議に臨んでいた。
 国連に関して言うと、日本という国の良さは、国連が正しく機能することを心から願っていて、日本が個別の利益を追求する必要が生じても、国連の機能を損なわない範囲で行おうとする点にあると思う。人事管理についても、日本人が少ないことに不満を持ちつつも、人事管理制度をねじ曲げてまで日本人を採用させる、なんてことは考えず、できる限り、公正な人事管理制度の実現を志向していた。
 つまり、日本人が少ないという問題は、「衡平な地理的配分の原則」の尊重と、個別の働きかけでの解決を志向した。

 さて、第5委員会は、お金、ヒトが絡んでくるし、コンセンサスによる意思決定が基本になっており、審議に大変な時間がかかっている。ヒトに関しても、先進国による拠出を利用した自国職員の送り込みなど、途上国には不信感が根強い。また、事務局も、先進国に都合のいい説明ぶりをしているように取られても仕方のない面もあった。したがって、ただでさえ時間のかかる審議が、不信感などにより、さらに時間がかかる結果となった。

 前置きはさておき、ここでできる貢献はなんだろう、と考えた。

 そのとき、私の頭で回っていたのは、「強者は弱者の怒りや不満を溶かす義務がある」という言葉だった。この言葉は、成田空港問題がこじれにこじれていたときに、その調整の任に当たった旧運輸省OBの方から聞いたものである。彼は、成田空港問題という、過去の意思決定により起きた問題を担当させられ、テロの恐怖(当時、旧運輸省航空局の職員の名簿は極秘扱いだったし、実際に放火などの標的にされていた。)の中で、和解を目指した方であり、その経験を踏まえた言葉だった。この場合の強者は、権力を持つ側、すなわち行政で、弱者は、苦労して開墾した土地を負われる農民ということになる。
 国連の会議では、強者は先進国・事務局(の連合)であり、弱者は途上国といえるだろう。

 私はいろいろ考えた末、次のような行動をとることにした。
 先進国・途上国のどちらでも不当な意見を言ったら、それを必ず指摘する。事務局の説明に対しても、正しい場合には、「正しい説明をありがとう」と発言し、誤解を与えたり、問題がある場合には、「今の説明はおかしい」と説明の問題点を指摘した。
 そうやって、途上国の側にある先進国や事務局に対する不信感を取り除こうとした。そういったことを実行していくため、頑張って人事管理制度を調べ上げた。

 会議をリードしたわけでも、アイデアを提供したわけでもないけれど、これが国連の会議で私でもできた「知的貢献」だったように思う。
 「ビジョン・方針がなくてもできる貢献」(少し悲しい?)であり、「先進国・事務局と途上国の間の調整」という行為であったことを考え合わせると、ある種、「日本らしい」貢献ではないかと思っている。

|

2006年10月17日 (火)

平和構築基金/NGO

 国際協力に関し、政府は平和構築分野での貢献に力を入れる旨の方針を示している。
 折しも、平和構築委員会が設置されており、委員会及び委員会を通じた活動に力を入れることになる。

 さて、同委員会の下には、既存の予算の範囲内で「小さな」平和構築室が置かれ、また、平和構築基金が設置されることになった。
 平和構築基金は、2億5千万ドルの資金を集めることを目標にした、文字通り平和構築のための基金である。
 基金の活用に当たっては、既存の国際機関等の活動との重複を避けることが強調されており、「穴埋め」的に資金を供給することになる見込みである。
 また、早期の資金供給を可能とするため、緊急の場合、百万ドルの支出権限を平和構築室の長に与えている。一方、基金の管理は、UNDPが行い、UNDPの財務規則に従って管理される。
 資金は、ドナーや国際機関等からの拠出によることとされており、資金の供給先は、国際機関やNGOとされている。
 
 これだけのことだけれど、いろいろ考えてしまうことがある。

 委員会の事務局となる「平和構築室」には誰がいるのだろう?日本人がいるといないとでは影響力という点で大違いだろう。
 基金に日本はどれくらい拠出する予定なのか。2億5千万ドルのうち、仮に20パーセントとしても、5千万ドルである。平和構築に力を入れる、と言っている以上、ある程度の拠出は必要になるだろう。その際、イヤマークをするのかしないのか?また、基金への拠出に伴い、ODAのどの分野が削られるのだろう?
 基金は、どのようなプロジェクトに支出するのか?日本のNGOの活動に拠出されるようなことはあるのだろうか?百万ドルの緊急支出権限による支出は、まともな審査はなさそうだから、平和構築室の職員と仲良しか、平和構築委員会を通じてうるさいことを言ってくる国のNGOに流れるんだろうな、・・・などなどである。

 そう、NGOが平和構築基金を利用するとして、政府(この場合、外務省)が、日本のNGOにどれくらい支援をするのか、又は、しないのか、ということが気になっている。欧米のNGOの場合、余程の老舗・有力なものを除き、国連の資金を活用する際には、政府からの側面支援を受ける場合が多く、そうすることで、NGOの強化を図っている面もある。
 平和構築で日本がリーダーシップを発揮するのであれば、NGOへの支援が不可欠だろう。つまり、平和構築分野での日本のNGOへの支援は、NGOそのものの強化にもなるし、人材育成にもつながり、知見の蓄積が進むだろう。NGOへの支援は直接にも間接にも、平和構築分野での取り組みの強化に繋がっていく。

 そのためには、基金が資金を供給しようとするプロジェクトの内容を事前に把握したり、UNDPの財政規則を調査しNGOが仕事をする際の支援の準備をしたり、平和構築室に予め資金の供給先として優先的に考慮するよう働きかけておくなど、他の加盟国が必要に応じやっていることをやるべきだと思われる。NGOに活躍してもらい、平和構築分野でのプレゼンスを確保していくためには、こういった地道な努力を政府が行う必要があろう。
 いずれにせよ、外務省の取り組みに期待するほかない。

|

2006年10月11日 (水)

2ちゃんねるでの中傷

 もうかれこれ5年ほど前に、2チャンネルの掲示板で中傷されたことがある。
 当然ながら、内容が事実に反していたので(だから中傷という)、念のため、上司・同僚に事情を報告するなどして、放置しておくことにした。
 しかし、しばらくして、ふとしたきっかけで、中傷している人の身元が割れた。偶然ってのはあるんだなー、と。
 その時点でも、ときどき中傷を継続してくれていたものだから、それとなく中傷者に知らせた。すると、「違う」との返事があったものの、中傷は止まった。

 本当に間抜けな中傷者だと思った。
 また、「放っておこう」と余裕の判断をし、のんびり構えていられたのは、「守るべき社会的地位というものがない」ということと、「上司・同僚との信頼関係」があったからだろう。
 逆に、その中傷者について考えたとき、「職場で孤立しているみたいだし、フラストレーションがたまっていたんだろうな」と同情さえした。

 いずれにせよ、「中傷する」っていう行為ができる人は、どういう人なのか、ということを具体的に知ることができたのは貴重な経験だった。大事に至らなかったから言えることなのかもしれないけれど。

|

2006年10月 1日 (日)

国連事務総長選出

 国連事務総長選出が近づいている。
 その過程自体にそんなに興味があるわけではないけれど、絶対に選出されて欲しくない人がいるので、気になっている。
 正式の立候補表明をしなかったけれど、元UNDP総裁で、副事務総長のマーク・マロック・ブラウン(MMB)は、地域の輪番制を無視しようとする(米国の)動きに乗ろうとしていた。彼のUNDP総裁としての言動をみていると、事務総長になった暁には国連も本当に終わり、って気がしていた。
 兄貴分のMMBに遠慮していたのか、広報局長のタローロの立候補表明は若干遅かったように思うけれど、彼もなるべき人ではないと思う。MMBとは違い、資質の面で問題がないとしても。少し説明を試みる。

 私のアナン事務総長に対する見方は厳しい。
 フセインとかタリバンとか、誰かを会いにいかせるんじゃなくて、自ら行くべきじゃないか?とか、「貴様それでも帝国軍人か!」じゃなかった、「貴様それでも事務総長か!」と言いたくなるような場面が結構あったりする。政治家ではない、という意味で国連事務総長の資質が十分でなかったような気がする。

 あとは、MMBとか、タローロとか、デメロとか、リンデンマイヤーとか、若かりし頃に仲の良かった、「キラ星」とはとてもいえない連中(タローロを除く。彼は真正の「キラ星」である。)を、これ以外にも多数、引っ張り上げている。要するに、自らが国連のネポチズムを代表している。リンデンマイヤーなんかは、確か、アナンのフランス語教師だったはずだぞ。今はASGにまでなってしまっているけれど。
 結局、パフォーマンスが悪くても、アナン事務総長に通じている、ということで、監査報告も人事ルールも無視して平気な人たちが大量生産されている(デメロが最もひどいといわれていた。)。だから、私はアナン事務総長が国連改革を言うのは白々しいと思っている。
 こういったことは、程度の差はあれ、国連官僚上がりで事務総長になった者の宿命かと思われる。タローロが事務総長になってしまえば、アナン事務総長よりも上手くやるとは思うけれど、同じことがもっと大規模に起きてしまうのが目に見える。要するに、ものすごいしがらみに苦しめられるのが想像される。
 国連の刷新を言うならば、国連官僚以外から事務総長を迎えた方がいいと思われ、その意味でタローロはアウトだろう。

 さて、韓国からの候補が事務総長になりそうだ、といわれている。結構、びっくりした。「早めの立候補表明は、早めに引き摺り下ろされる」という鉄則が今回は通じなかった。直球勝負が上手く行きそうである。

 私は、韓国の候補が事務総長になるのはなんとなく賛成である。
 理由は次のとおり。
 事務総長という重責を果たそうとする際、日本に対して冷たいことをする、なんてことはできない。したがって、デメリットはなさそうだ。
 一方で、韓国の国際デビューというか、韓国がより国際的な地位を意識するようになると思う。そうすると、例えば日本に対する過激な世論などが、もっと成熟していく方向に向かうのではないか。そうなると、民主主義国家だから、政権の質も変わって行くきっかけになるようにも思う。日本にとってメリットがある。

 ということで、韓国の候補に事務総長になってもらってもなってもらわなくてもいいけれど、外務省が彼に支持を表明しそうだ、という観測が流れているけれど、妥当なんじゃないか、と思う。

|

2006年9月12日 (火)

UNHCRは国連事務局の一部?

「国連開発計画(UNDP)は国連事務局に含まれる?」と質問したら、国連を多少なりとも知っている人は、「含まれない」と答えるだろう。

 では、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、国連事務局に含まれるのか?

 「含まれない」と答える人が多いようと思うけれど、実は含まれる。

 国連事務局の定義に関する事務総長告示があり、そこにしっかり書かれてある。
 「国連事務局の部局=通常予算のプログラムを担う部局」という等式が成り立っていて、UNHCRは、「難民」というプログラムを担う部局という位置づけになっている。
 しかしながら、通常予算による手当が2パーセント程度に過ぎず、また、事務総長からの広範な権限委譲が行われており、お金の使い道も人事も、高等弁務官が独自に行うことが基本となっており、国連事務局と同じことが行われているわけでない。

 「国連システム>国連>国連事務局」という関係が成り立つけれど、「国連システムであって、国連でないもの」とか、「国連であって、国連事務局でないもの」といったことは、人事にもろに影響するので、国連で働きたいと考えている人は基礎知識として持っておいた方がいいと思うのだけれど、どうだろう。

|

2006年9月11日 (月)

事務総長は国連職員?

 「首相は、国家公務員か?」と聞かれたら、一瞬迷う人もいるかもしれない。
 れっきとした国家公務員である。国会議員も国家公務員である。

 一方、「国連事務総長は、国連職員か?」と聞かれたら、あんまり迷わず国連職員だと答える人が多そうである。
 ただ、よくよく調べると、国連事務総長は、国連事務局の長であっても、厳密には国連職員ではない。事務総長を国連職員であると定義している法的な根拠はない。

 傍証になるけれど、国連職員は、国連総会の定めた規則に従って、国連事務総長に任命される者とされていて、国連事務総長は自らを任命するわけでないので、国連職員とは言えない。
 給与についても、国連職員とは別のルールに従って決定する。

 ちなみに、内部監査室の長など一部の高官は、任命に当たって国連決議が必要だけれど、その国連決議は、事実上の拘束力のある推薦にとどまり、実際の任命行為は事務総長が行うので、国連職員である。

 多分、こういうくだらないことを調べて遊んでいる人はそんなにいないと思うけれど、反証があれば欲しい(「ない」と断言してたところだけれど。)。 

|

2006年7月25日 (火)

国連での昇進

 友人からメールがあった。
 「国連機関でP-5に昇進した」との内容であったけれど、色々たくさん感想を書いてくれていたし、今後の相談もあった。
 見習い職員(JPO)の頃から関わりのある人がP-5(課長相当)まで昇進したのは、彼が最初である。素直に嬉しい。
 彼と知り合ったのは、かれこれ8年前である。
 誠実で勤勉なJPOだった。彼とは機会を捉えて、よく食事に出かけたり私の自宅に呼んだりしていた。どうやったら国連機関で生き残っていけるか、国連に日本人を増やすにはどうすればいいか、話し合っていた。
 彼が、JPOから正規職員になろうとしているときに、色々「入れ知恵」をしたり相談に乗ったりしていた。彼も、キャリアパスを考えていく上で、私のアドバイスを相当程度考慮していたようである。
 こういうのを「支援」と言っていいのかどうかはわからないけれど、ある程度のバックアップにはなったと思う。
 彼を見ていて思うのは、「俺が俺が」という人でなくても、組織で認められて昇進できてしまう、という当たり前の事実である。知り合いの日本人幹部職員を見ていても、その感を強くする。
 この辺りの誤解は是正しておいた方がいいと思われるがどうだろう。

| | コメント (0)

2006年7月 3日 (月)

テニス:ハードコート

 かつて、さる国連関係のとっても偉い人がテニスをしたいといい始めた。
 全米オープンの会場のフォレスト・ヒルズでやりたい、ということだった。
 その場に私が居合わせたらよかったのだけれど、30年以上前から、全米オープンは、フォレスト・ヒルズではなく、フラッシング・メドウで行われている。お年を召した方は、ときどきこういう間違いをする。
 そういえば、クリントン元大統領と選挙戦を戦った共和党の候補は、「ブルックリン・ドジャース」(正しくは、ロサンジェルス・ドジャーズ)なんて発言してしまい、メチャメチャにこき下ろされたっけ。
 黙って、フラッシング・メドウを予約することにした。まさか、フォレスト・ヒルズの赤土のクレーコートを想像してはいまい。
 かつて、テニスの四大トーナメントは、全仏と全米がクレー、全英と全豪が芝だった。
 その後、ハードコートが主流になってきて、全米と全豪もハードコートで行うこととなった。
 そこで、困ったことが起きた。ハードコートの主流化が相当程度進んでから、グラファイトなど素材の開発で、ラケットが劇的に進歩してしまった。この結果、男子テニスは「サービスだけで終わる」なんていわれる状態になった。
 ハードコートが主流になり始めた当時は、ラケットは、まだ木製の小さなもので、かつ、大変重かった。要するに、ラケットの反発力は小さく、スイートスポットが狭いので回転もかけづらく、重いので扱いにくいため、「サービスだけで決まる」というような状況ではなかった。
 しかし、ラケットの進歩で、想定外の状況が生まれてしまったわけである。
 テニスというスポーツが、「サービスだけで終わる」と揶揄されるのはよいことなのだろうか。なんらかの対策があっていいのかもしれない。

| | コメント (0)

2006年4月19日 (水)

政策の企画立案経験と国連

 日本においては、行政府以外で、政策の企画立案の経験を積むことは難しい。
 要するに、公務員が、政策の企画立案の経験できる機会をほとんど独占している。
 また、公務員の雇用は、長期であることが主流を占めており、外部との行き来が少ない。したがって、いよいよ、政策の企画立案の経験を積んだ者を行政府が囲い込む結果になっている。
 さて、国連の空席広告をみていると、「国レベル又は国際レベルでの政策策定経験」といったことが書かれている場合がある(多い、と言ってもいい。)。このため、公務員経験者が有力な候補となりやすい。
 しかし、残念ながら、日本の公務員は先進国に比べ公務員の人数が少なく、しかも、上記のとおり流動的でなく、結果として、公務員経験者で国連機関職員となる者が極めて限られている。
 これは、日本の国連機関におけるアンダーレプリゼンテーションの主たる理由の一つに数えられるのではないかと思う。

| | コメント (0)

2006年4月 6日 (木)

国連への財政的貢献と人的貢献

 1997年11月の「邦人国際公務員の増強のための施策に関する報告書」(外務省国際社会協力部長の下で開催された懇談会の報告書)には、「国際機関において財政的負担に見合った人的貢献を行うことは、加盟国としての責務」と主張している。
 この主張、よく聞くのだけれど、よくわからない。
 実際には、国連で働くための競争は厳しいのが現状である。国連側からは、自衛隊のPKOへの派遣はともかく、国連職員について「日本からの人的貢献が必要」なので、お願いしたい、などとは言ってこない。
 もっといえば、国連に圧力をかけて人数を増やすことは、「加盟国としての責務」ではないはずである。
 普通に考えると、「加盟国の責務」としての「人的貢献」は、国連で活躍できるような人材を育成し、結果として国連で活躍する日本人が相応に存在する、ということのように思える。

| | コメント (0)

2006年4月 2日 (日)

国連は非効率だから・・・

 外務省の知り合いと国連人事について話していたところ、「国連は非効率だから・・・」と言っていたのを聞いて、少し考えてしまった。
 日本の二国間のODAの技術協力が効率的かどうか大いに疑問があるけれど、それはいい。
 考えてしまった理由は、国連の非効率を日本の外務省は嘆いてはいけない、と思ったからである。
 日本は、第二位の分担金拠出国である。「私(日本)のせいで、国連が非効率なんだから、なんとかしないといけない」くらいの気概があってもいいはずである。というか、それくらいが常識といえるのではないか、と思う。

| | コメント (0)

2006年3月31日 (金)

国連と自衛隊・人事評価

 自衛隊の幹部候補生の人事においては、新卒が原則で、中途採用はない。その代わりに、毎年、勤務成績で序列をつけ、その結果を昇進・配置に反映させていく。
 序列は、毎年決定しているので、人事当局は、序列に対する不服、不満をよく検討の上、「序列のつけ方」の技術、つまりは、人事評価の技術を磨き上げているものと思われる。そして、最終的には、皆が納得できる選抜が行われる。
 話は変わるけれど、JPOが、任期終了後、国際機関で採用されるか否かについては、正当な人事評価の結果とは言い難い。ポストの有無に左右されるなど、なかなか大変である。
 人事評価について、自衛隊と国際機関では、両極端をなしているようにみえる。
 こう考えてくると、国連日本人幹部職員の一部が言うように、「頑張れば、評価されて、結果に結びつく」などというのは、無責任だと思われる。他の国の幹部職員の多くは、後輩を支援するけれど、そういった面倒な支援をしないことへの言い訳をしているのではないか、と勘ぐってしまう。
 人事の評価を公正に(納得的に)やるためには、量と質が伴った比較の努力が必要であり、地理的に広く、ニーズも日々変化していくような国際機関のようなところでは、ほぼ不可能と言って良いくらい難しいと思われる。

| | コメント (0)

2006年3月25日 (土)

国連とコネ

 国連の人事について、「コネ」でなんでも決まっていく、という批判が多い。
 ただ、公正平等な面接による採用を行う方が、「コネ」により採用を行うよりも、よい結果を生む、とは一概にいえない。「コネ」には問題事例もあるけれど、良心的に活用した場合、「コネ」の方が安心して採用できるように思われる。
 もっといえば、(日本人には少ないけれど、)面接での売り込みが「犯罪的に」上手い人もいることを勘案すると、「コネ」の方がよっぽどまし、と言いたくなる場合も多い。
 要するに、日本の新卒の就職活動や就職試験の基準で、国連の人事を観察して、フェアかどうかを考えるのは妥当ではなかろう。
 国連に限ることではないと思うけれど、人事なり就職活動を考える際、「コネ」を消極的に捉えるだけでなくて、積極的な面にも目を向けてみるのがよいのではないかと考えている。

| | コメント (0)

2006年3月16日 (木)

国連の採用の信頼性

 大学入試や公務員試験や就職試験の「実質的な倍率」は、とっても低いと思う。
 たとえば100倍の応募がある試験では、記念受験、勘違い受験、無理な「あわよくば」受験は、95パーセント以上だと考えた方がいい。
 100回やっても受かる人は受かり続けるし、落ちる人は落ち続けるわけである(もちろん、多少の入れ替えはある。)。試験の制度設計や企画立案を経験した者立場からすると、そういう「信頼性」がないと、試験の体をなしているとはいえない。
 
 さて、国連のポストへの応募については、「信頼性」という観点からみて、十分とは到底いえないように思う。
 この場合、面接であることは、理由にはならない。面接と筆記試験を比べた場合、面接の方が信頼性が高い(繰り返し同じ結果が出やすい)ということは、決して珍しいことではない。
 そもそも、決定過程の複雑性、恣意性、外部からの圧力などなどを見ると、「信頼性」がある試験になるはずもないだろう。
 しかも、多くの場合、採用の基準に関して情報不足であることから、応募者は殺到するし、受験の準備に苦労もする。
 国連は、ここ数年、人事制度改革と言ってきており、それなりの改善がなされてきているけれど、採用の決定過程の恣意性や横やりなどを本気で排除する施策をとってきているとは言いがたい。こういった点にもっと目配せをした改革をして欲しい、と思う。

| | コメント (0)

2006年3月15日 (水)

国連でいうところの専門性

 国連などに就職するに当たって、専門性が必要、といわけれるけれど、意味するところはよくわからない。
 ただし、専門性について、いくつか妥当だと思われる性質はある。例えば、次のようなことである。
(1)国連に関していうと、「職務遂行能力」と「採用されるための能力」には、大きな違いがあるが、「採用されるための能力」の指標として、「専門性」が使われることが多い。
(2)ポストによっては、極めて狭く深い専門性を求められることもあるが、一般に、そういう「専門性」はコンサルタントといった形で調達する。
(3)専門性について、大学院で専攻していなくても、職務経験が評価されることは多い。
(4)特に実務家については、「専門性の深さ」は、「専門性の幅」と正の相関がある。隣接分野・関係分野の理解がない実務家は有害である。
(5)政府がお金をだして国連に人を送り込むJPOでは、専門性と関係のない仕事をさせられることがほとんどである。
 こういう風に考えてくると、JPOなど政府がお金を出して国連に人を送り込む場合、「専門性」を連呼し重視するのは妥当ではなかろう。もちろん例外はあるけれど、多くの場合、専門性は入ってから補えるし、むしろJPOなどは、専門性を広げるよい機会である。したがって、専門性ではなくて、その人の意欲・性格など職務遂行能力を重視すべきだろう。

| | コメント (0)

2006年3月 8日 (水)

ポップ・スター

 アグネス・チャン氏が、ユニセフ本部で、全米デビューのアルバムを発表した、というニュースが流れていた。
 アグネス・チャン氏は、日本ユニセフ協会の親善大使をしているのだけれど、「少々やりすぎではないか」という気がする。うーん。
 国連広報局のプレスリリースをみたら、アグネス・チャン氏のことを、「ポップスター」と書いてあった。確かに、昔はポップスターといえるような時期があったかもしれないけれど、現在はどうか。うーん。
 プレスリリースには、アグネス・チャン氏は、「日本のユニセフ親善大使」(UN Children's Fund Goodwill Ambassador for Japan)と紹介されていたけれど、「日本のユニセフ親善大使」は、黒柳徹子氏であって、アグネス・チャン氏は、「日本ユニセフ協会の親善大使」である。うーん。

| | コメント (0)

2006年2月24日 (金)

PKOの不正支出

 PKOの費用のうち、3億ドル近い不正支出があったとの報道があった。
 安保理がこの問題を扱い、元UNDP総裁で、現官房長が説明に立ったとのことである。
 これに関連し、日本政府は、PKOの分担金に対する支払いへの慎重な意見を表明した。不正に関連して、支出への慎重姿勢を日本がみせるのは珍しい。
 UNIDOのような例(自発的拠出金凍結)ということもあったけれど、分担金(義務的な拠出金)を出し渋ることはなかったし、国際機関を擁護する立場に回っていた。
 是非は別にして、このような意見の表明は、これまでの政策の変更なのかどうか、今一歩よくわからない。
 それにしても、この問題は、将来に禍根を残す可能性がある。
 これまで、財政の問題は、国連総会第5委員会で取り扱うことになっていたが、安保理で取り扱っていいという前例を作ってしまったのではないか、という危惧である。
 仮にそのような前例が確立したら、現在のように、日本が安保理に席を占めているときはいいけれども、そうでないときには、国連財政の2割を負担する日本が、立場を表明できる機会がなくなってしまう。
 考えすぎならばいいのだけれど。  

| | コメント (0)

2006年1月12日 (木)

PKOについての報道

 「不肖・宮嶋 ちょっと戦争ボケ」を読んでみた。
 自衛官の知り合いから、宮嶋カメラマンの話を面白可笑しく聞いたこともあったので手にとった。
 面白可笑しく書いていること、軍国少年(?)ぶりを発揮していること、など、「うーむ」と思われるところが多すぎだった。素直に笑う気になれなかった。
 相当部分がPKOに関係するものだったが、PKOを予算と人事とピースキーパーとの会話からしか知らない者(私!)からみて、それなりに理解を広げることができた部分もあった。
 逆に考えると、PKO経験者の肉声がなかなか聞こえてこないところに問題があろうかと思う。
 ことPKOに関しては、多くの場合、日本のマスコミによる情報は、事実を伝える前に意見が前面に出てしまっていたり、情報が断片的だったりして、なかなか臨場感をもった情報を得ることができない。
 また、自衛官は立場上、PKOの経験を「ざっくばらん」に話すことは難しい。
 そうすると、文民のPKO従事者からの情報を拾ったらいいと思うのだけれど、そういう人たちは大変少ない。やっぱ、もっとそういう人たちの人数を増やして欲しい。。。

| | コメント (0)

2006年1月11日 (水)

UNDPの選挙協力

 ここ最近、UNDP(国連開発計画)の重要なお仕事になっているのが、「選挙」である。
 昨年12月14日には、タンザニアで選挙が行われたのだけれど、選挙を担当していた旧友に久しぶりに会ったので、興味深いところを箇条書きする。
(選挙)
・UNDPは、色々な国で選挙支援を行っているけれど、やり方はさまざまである。
・タンザニアでは、大統領が憲法を遵守し、任期満了で辞職したことに伴う選挙であるが、任期中に憲法を改正し独裁に走る大統領ばかりがいるなかで、これは珍しい。
・お金は、50ミリオンダラーくらいかかった。当然だけれど、タンザニア政府からのお金も入っている。
・2000万人以上の有権者に、選挙の意義を理解してもらう必要があった。選挙担当者の研修も重要だった。
・選挙準備に2年くらいかかった。300カ所以上の選挙地区のうち、200カ所以上回った。
・ザンジバル島など、特殊な事情を抱える地区には相当意を用いた。
・有権者は、18歳以上のタンザニア人だったけれど、そもそも戸籍がないので、有権者を確定することが一仕事だった。
・有権者の確定には、「18歳以上でタンザニア人だ」と申請してもらうのだけれど、それを集約して、村などの単位で、名簿をチェックしてもらうという方法をとった。
・名簿のチェックは、村長さんにお願いした。
・ルワンダなどからの定着難民も、長期間の住んでいたら、タンザニア人だと認められていた。
・コンピュータで登録作業をしたけれど、システムの入札では、キックバックを匂わせる業者もいたようだ。
・ドナー諸国からのオブザーバーのロジが大変だった(最も大変といったいいのかもしれない。)。日本からのオブザーバは、良識的だった。もっと来てもらうべきだ。
(選挙以外)
・UNDPタンザニア事務所は、110人くらいの規模であるが、選挙というUNDPにとってのビッグイベントが終わったので、少し楽になる。
・今後は、ナショナルIDの発行(国籍登録?)といったプロジェクトに取り組むことが検討されているが、自分としては、汚職防止のプロジェクトをしたい。ただし、汚職防止に反対する省庁もあり難しい。
・タンザニアでは、コモンバスケット方式の導入が進みそうだけれど、日本はもっと口うるさく介入してもらうくらいがいい。
・・・

| | コメント (0)

2005年12月30日 (金)

国連分担率の引き下げ?

 国連の分担金は、義務的に国連の活動のために支払う資金である。
 国連の予算は、(1)国連通常予算、(2)国連PKO予算、(3)ICTY/ICTR予算、(4)各機関ごとの予算、の大きくわけて4種類ある。
 これらのうち、分担金が適用されるのは、(1)~(3)と、(4)のごく一部、ということになっている。
 また、分担率は、GDP比などを元に、途上国割引(貧しい国からはあまり取らない)などを勘案の上決定しているが、(1)から(3)の分担率は、多少異なる。(2)は、(1)に比べ、安全保障理事会常任理事国の負担が若干大きくなっているし、(3)は、(1)と(2)を平均した分担率を適用することになっている。
 なお、日本の分担率は、(1)=(2)=(3)である。
 現在、日本は、分担率が高すぎるので引き下げるべき、という主張をしている。
 通常予算分担率の引き下げはともかく、PKO予算分担率の引き下げは成功させて欲しいと思う。なぜかというと、日本はPKOの設置に関与できる機会が限られているにもかかわらず、大きな負担を強いられていることが、適当とは思えないからである。「代表なくして課税なし」というという言葉もあるけれど、日本が国連の場で主張してもそんなに違和感はないだろう。

| | コメント (0)

2005年12月21日 (水)

国連予算審議・・・

 国連の予算プロセスは、大変複雑なのだけれど、単純化すると、次のとおりである。
 1.加盟国が、さまざまな委員会等において国連のマンデートを決定する。
 2.事務局が、それらマンデートを集約して予算の概要(規模等)を示した「予算概要」を作成する。
 3.加盟国が、「予算概要」を承認する。
 4.事務局が、「予算概要」をもとに、「プログラム予算」(予算書)を作成する。
 5.加盟国が、「プログラム予算」を承認する。
 さて、以上から明かなように、事務局は、加盟国が決定したマンデートを遂行するために必要な予算を作成しているわけである(特に4.の段階)。
 それに先立ち、事務局は、2.及び3.の段階で、ご丁寧に「加盟国の皆様の命令を実行するためには、これくらいの額が必要になります」という報告を行い、加盟国から、「その額でよい」とのお墨付きをもらっている。そして「プログラム予算」は、特段の理由がない限り、予算概要で示された額の範囲内で作成される。
 加盟国の立場からすると、予算を減らしたければ、1.の段階で、資金の手当てが必要な決定を阻止すべきだし、逆に、新たな組織を設けたければ、この段階で主張すべきである。
 それができなかったら、少し困難度が増すけれど、3.の段階でも削減・増額の提案は可能である。
 5.の段階では、3.で予算の規模に関する加盟国間の合意ができているので、予算の大幅な増減は難しい。
 予算は、高度に政治的な調整を要するものであるので、このような長い合意形成プロセスができあがっており、加盟国は、プロセスにのっとって、しかるべきタイミングで主張を行うことが求められている。つまり、「合意形成プロセス」自体が、長い国連の歴史の中で合意されてきた規範として存在している。米国が主導している国連改革においても、この合意形成プロセスの合理化が決議されており、この点からみて、日米とも現在の予算の合意形成プロセスの在り方に賛意を示しているといえる。
 なお、予算を審議する国連総会第5委員会(通称:行財政委員会)の決定は、コンセンサス方式によっている。すなわち、すべての加盟国が渋々にでも賛成しないことには、予算等の決議を採択できない。つまり、日米がその気になれば、決議をブロックできることを意味する。
 現在(12月半ば)、日米がブロックしているため、次年度開始(1月1日)前までの予算成立が危ぶまれている。
 これは、上記5.の段階の審議に当たり、「予算プロセス」及び「2006年からの予算の内容」に関して、加盟国が努力して積み重ねてきた合意を否定するものである。
 これはどう評価すればいいのだろうか。少なくとも交渉のためのブラフにしては、強硬に過ぎると思われる。 
 米国は、かねてから国連改革を主張してきたし、予算をブロックするかもしれないというようなメッセージを送り続けてきた。かつて、条件が満たされるまで分担金を支払わない、というような法律を米国議会が採択し、その結果、膨大な滞納金が生じ、国連が深刻な財政危機に陥ったこともある。したがって、米国の行動は驚くに当たらないと受け止められているとみられる。
 一方、日本の場合、予算をブロックするようなメッセージを発したことはないだろうし、具体的に予算をブロックしたこともない。予算プロセスを尊重に従って自らの主張を行ってきているし、分担金も誠実に払ってきている。このように、ひとたび合意したプロセス・内容を尊重することが、これまでの日本の基本的立場だったといえる。
 今回の予算に関する日本の行動は、これまでの振る舞いからすると、他の加盟国から、国連に対する態度変更又は政策変更と受け止められるだろう。
 国連においては、単純化すれば、(1)「正義のヒーロー」として頼りにされる道か、(2)「悪役」として尊重される道か、(3)両方を使い分ける「両刀使い」の道の3種類の選択肢がある。今回、日本は、「正義のヒーロー」から、「悪役」又は「両刀使い」へ転身を決意したかにも見える。
 これらの選択肢のどれがいいか一概には言えないが、日本が、国連に対する態度変更を決意したのかしないのか、決意したとしたら、それが国連の会議運営にどんな影響を与えるのか、興味津々である(これらが判明するまで時間がかかりそうだけれども。)。

| | コメント (0)

2005年11月24日 (木)

老人支配

 国際政治学者の故・鴨武彦先生と1対1でじっくりお話をさせてもらったことがある。
 「タカ派・ハト派という場合、ハトには毅然としたイメージがあるが、私(鴨先生)は、毅然とした主張をしているように思われないので、カモ派と批判されている。」と、笑っていいのかどうしようか迷ってしまうような話をしてくれていた。
 それはさておき、鴨先生によると、鄧小平主席(当時)が訪日した際、晩餐会で次のような話をしたそうだ。
 「この中で、60歳以上の方は手を挙げてください」(何人かが手を挙げる)
 「では、70歳以上の方は手を挙げてください」(数人が手を挙げる)
 「では、80歳以上の方は手を挙げてください。80歳以上の方はいませんね。でも、中国では、政治は、80歳からです。」
 鄧小平主席は「まだまだやる気がある」ということを示したのだろうと思う。それにしても、中国の老人支配ぶりに驚いた。中国では、政党が国会議員に定年制を設けたりは決してしないものと思われる(というか、そういうことをやるのは日本だけかも。アメリカには、100歳の連邦議会議員がいたようだし。)。
 話は変わるけれど、国連には、国連行財政問題諮問委員会(ACABQ)という、強力な委員会がある。その委員長を30年くらい務めたタンザニア出身のムゼール氏は、アフリカグループの推薦を受けられないままACABQに立候補して当選したことがあるなど、粘りに粘ってACABQ委員長のポストを死守していた。
 ある会議で、国連職員の定年延長の財政に対する影響についての質疑をしていたとき、彼は冗談めかして、「African never retires」と言っていた。私には再出馬表明にも思えたけれど、ポストへの執着は、古今東西を問わないようである。

| | コメント (0)

2005年10月22日 (土)

HIV/AIDSにみるセクショナリズム

 日本の行政においてセクショナリズムの弊害がよく批判される。実のところ、妥当な批判も多いと思う。
 しかし、業務を分割することは必要不可欠であり、セクショナリズムの弊害が生じることはやむを得ない面もある。
 セクショナリズの弊害は、いくつかの原因があるが、怠慢から生じる場合もあれば、真面目に取り組めば取り組むほど生じてしまう場合もある。
 セクショナリズムの弊害を軽減するためには、差し当たっては、トラブルが起きにくいように上手に業務を分割したり、広い視野で物事を考えることのできる担当者を育成するといったことが必要だろう。
 さて、しばらく前に、国連機関によるHIV/AIDSへの取り組みについて勉強会を開いた。その準備をしているとき、NYの友人からHIV/AIDSに関する役割の分担表を見せられて、少々驚いた。
 その表によると、UNAIDS、WHO、UNDP、UNFPA、UNODC、WB、UNICEF、UNHCR、WFP、ILO、UNESCOが、HIV/AIDSという一つのテーマを巡って、分野を17に分け、17分野ごとに主担当と副担当を決めて取り組むこととしていた。なお、副担当は、1機関の場合もあるが、おおむね複数で、すべての機関が含まれている場合もある。
 こういう状況だと、いざ各国でプログラムを実施する際には、膨大な調整コストがかかることは、容易に想像がつく。しかも、分担表に記載された機関以外にも、大きなアクターはあり、それらとの調整も必要である。
 いずれにせよ、セクショナリズムの弊害という観点からは、日本の行政と比べるべくもないくらいひどい状況にある。実際の運用について担当している人の話を聞いていても、ひどい例、あきれる例に事欠かない。
 このような状況になった原因は、無理に権限争いを仕掛けている機関の存在や、各機関の意思決定機構が別々に意思決定を行い(または、意思決定を行わないことでフリーハンドを与え)、それが決して統合的なものでないこと、などを指摘できるだろう。
 このままだと、国連機関は、調整のために仕事をしているのか、HIV/AIDSに苦しんでいる人たちのために仕事をしているのかわからなくなってしまう。
 なんとかならないのだろうか。

| | コメント (0)

開発援助機関の役割

 「私たちの仕事が必要でなくなるのことが究極の目標です。」と開発援助機関に務める人たちはいう。
 少なくとも、自分のキャリアが終わるまでに仕事はなくならないから、暢気にこんなことを言っているようにもみえる。
 さて、戦後の日本は、開発途上国としてスタートを切ったと言って良い。
 戦後、行政に国の経済を左右するような大きな役割が割り当てられていた。
 特に戦後直後においては、石炭などの基礎的な物資を配分という大きな仕事があった。もう少し時代が下ってからは経済成長に伴う税の自然増収を上手に配分することや資金不足部門に対する財政投融資による資金供給などが、大きな役割としてあった。
 以上は、私の意見でもなんでもなく、経済史の標準的な教科書に書かれている。
 さて、現在の日本の状況を乱暴に言ってしまえば、基礎的な物資を配分する必要もないし、配分できる税の自然増収もないし、貸し渋りはあっても、資金不足といえる部門もない。戦後経済史上、重要とされてきた行政の役割がなくなってしまったわけである。
 つまり、日本では開発援助機関の言う「究極の目標」が達成されてしまったわけである。このため政策投資銀行などの政策金融機関は、「私たちの仕事が必要でなくなるのことが究極の目標です。」と暢気に言ってられなくなっている。
 さて、どうなるか。

| | コメント (0)

2005年10月 1日 (土)

環境関係の国連職員

 環境に関連する学問を専攻する人が多いし、その人たちのうちには、国連職員を指向する人も多い。
 しかし、国連で環境関係のポストはとても少ない。
 理由としては、次のような点が挙げられる。
 1.国連による国際協力分野のうちでも後発分野であること(国連は、国際の平和と安全に関することを除き、予算はインクリメンタルな意思決定により決定されるため、通常予算により設置された環境関連のポストが少ない、という結果となる。)。
 2.開発援助では、環境が主流にはなりにくいこと。
 3.NGOのキャパシティが十分ある場合が多く、国連機関がやらなければならない部分が小さいこうと。
 4.環境問題を引き起こす国は、多くの場合先進諸国であり、技術協力などのニーズが大きくないこと。
 もちろん、環境を専攻して運よく国連での仕事に就くことができる人もいる。しかし、そのチャンスは他の分野に比べて小さい。
 「国連環境計画で働きたい!」「国連の環境分野で働きたい」という希望を持つのもいいけれど、この辺りの事情をよく理解しておくことをお勧めしたい。

| | コメント (0)

2005年9月28日 (水)

国連ブルンジ活動

 「国連ブルンジ活動」について勉強会を開いた。
 「国連ブルンジ活動」の任務は、停戦監視、武装解除、動員解除、武器の回収、難民・国内避難民の帰還、適切な警察組織の立ち上げ、民主的選挙実施への支援などである。
 この活動の予算は、1年予算で、日本円にして300億円余りである。JICA予算の5分の1程度がこの活動のために消費されている。
 ブルンジの活動に関して、外務省のHPをみると、派遣規模(2005年2月28日現在)として、軍事監視要員 186名、文民警察要員 85名、部隊要員 5,174名、とあり、要員派遣国名が記されている。日本からの要員派遣はない。
 しかし、ブルンジで活動している人は、軍事監視要員、文民警察要員及び部隊要員だけではない。
 国連ブルンジ活動には、軍事・警察関係者でない、文民部門に働く国連職員が約1000人勤務している。これら国連職員は、選挙支援、人権状況の調査、裁判システムなどの改善、難民・国内避難民の帰還への支援などを行っている。
 また、国連ブルンジ活動以外の国連職員(UNICEF、UNHCR、UNDP、WFPなど)も相当数が勤務している。
 さて、国連ブルンジ活動に勤務する国連職員約1000人のうち、約400名が、いわゆる国際職員(international staff)で、政府からの派遣ではなく、全世界を対象に採用活動が行われる。
 この約400名のうち、日本人は、わずか2名(0.5%)である。日本は、国連ブルンジ活動の予算の約2割を負担し、国連安全保障理事会常任理事国を目指していることからすると、これは嘆かわしい数字ではなかろうか。
 なお、外務省のHPには、国連ブルンジ活動の文民部門に関する記述はない。
 情報公開の観点から、たとえば、「文民部門、1000人、うち国際職員400人(日本人2名)」といったことも書いておくべきだと思う。
 また、国際職員400人のうち、人権担当が23ポストあった。いささか多いのではないか、と思ったが、国連ブルンジ活動に従事する友人によると、裁判や刑務所などにおける人権のためのモニターが重要だそうで、適正な水準といえるかもしれない、とのことであった。

| | コメント (0)

2005年8月26日 (金)

安保理

 日本の安保理常任理事国入りに向けた交渉が行われている。
 ただし、マスコミ報道によると、見通しは暗いようだ。
 日本は国連重視外交を標榜してきている。資源の海外依存度の高さと伸びきったシーレーンかみて、日本ほど、世界の平和が必要な国はない。そう考えると、国連を重視するのは、当然の選択だと思う。
 さて、日本は、経済大国に見合った国際社会への貢献が期待されている。しかし、これまで国際の平和と安全にどれだけのリーダーシップを発揮してきたかというと心許ない。仮にリーダーシップを十分に発揮してきたのであれば、日本への評価はもっと高いものとなっていたと考えられる。もっといえば、日本だけ常任理事国入りする、ということもありえたかもしれない。何せ50年間、国連で実績を積み重ねるチャンスがあったわけだから。
 そう考えてくると、今回の成り行きは、日本が加盟して以来約50年の国連外交の成績表を見せ付けられているように思えてくる。

| | コメント (0)

2005年8月 1日 (月)

信頼とコスト

 国連組織の採用を見ていると、どうしてこうも、縁故採用もしくはネポチズムが蔓延しているのだろうと思う。採用ルールが無視されることは日常茶飯事だし、縁故採用をしても責任を問われることはほぼない。これは、国連の会議でもしばしば問題になる。
 しかも、運良く昇進してきた、決定的に能力が欠けるとしか思えない幹部が、「人事は公正公平に成績主義に基づいて行われている」などと平気で発言するものだから、不信が増幅される。
 そう、国連組織には職員間の信頼が欠けていると思う。国連組織では、そもそも、人事が公正公平には行われている、と思う人はいない。この場合、なんとかネポチズムの恩恵に浴することを考える人が出てくるし、誠実で有能な人ほどあきらめて辞める(有能な人は外に仕事があるからね。)という行動に出ることになりやすい。
 仮に職員間に「仕事をしていれば評価してもらえる」というような信頼関係が強固であれば、誠実で有能は人の残存率が高まり、ネポチズムの恩恵に浴することを指向する人が、マージナライズされるだろう。
 要するに、「職員間の信頼の低下」と「ネポチズムの蔓延」は、相互に強化しあう関係があると思われる。
 さて、ネポチズムに対抗するために、総会決議などで、採用手続きが極端に煩瑣になってしまっている。そのコスト(時間、費用)は無視できないほど大きい。このような現象は、採用に限らずそこかしこにみられる。
 国連が効率的で効果的な施策を実施する組織になるためには、安全保障ではないけれど、国連組織の職員間にも、総合的な「信頼醸成措置」が必要なのではなかろうか。

| | コメント (0)

2005年7月17日 (日)

ブルンジ

 ブルンジのPKOミッションで働いている友人が一時帰国しているので、飲みに行った。知り合いの国際政治学者と開発コンサルタントも合流した。たくさん飲んだ。粗相もあった。
 ブルンジというのは、大虐殺のあったルワンダの隣国で、あの当時、ルワンダと構図的には共通した、しかし、大規模ではない、襲撃、殺害などがあった。ブルンジでの襲撃、殺害は、農具を使うのが一般的だったらしいけれど、想像するに、相当残虐な行為だったように思う。
 こういう話を聞いていて、「どうして急に人を殺せるようになるのか」という疑問に行き着いた。
 答えは見つからないのだけれど、「どうして私たちは人を殺さないのか(殺さずにすんでいるのか)」という質問とコインの裏表のような気もしてくる。
 ブルンジには、日本人は2名しかいないそうだ。もう一人は、所在不明だった知り合いであることが判明した。世界は狭い。

| | コメント (0)

2005年3月 3日 (木)

スポーツ担当特別顧問

 国連にスポーツ担当事務総長特別顧問なんていうポストがあると友人が教えてくれた。
 聞くところによると、MTVと提携して、国連でコンサートを開くことを計画しているらしい(なんでスポーツ担当がやるのかは、不明。)。
 コンサートを国連でやるのはどうか、と思う。その前にそんな特別代表を置くくらいなら他にやることがあるのではないか。まあ、現事務総長は、本当に必要か?といいたくなるような特別代表とか特別顧問をどんどん設置してきているので、驚くには当たらない。
 案の定、このポストに就いている人は、現事務総長の友達だとかそんな裏話があるらしく、とてもいやな気分になる。人事についていくつもそういった話を聞かされてきたので、「またか」というのが正直なところである(最近、人事以外にもきな臭いことが起きているが。)。
 現事務総長は、ハマーショルドのようにストイックに振る舞えないのだろうか。そういう噂さえ流れないくらい清廉潔白に振る舞っていれば、事務局職員の行動も少しは改善されるように思う。こういうところでも、国連への評価が決まっていくことをもっと認識すべきだと思う。各国政府の汚職度などをランク付けするNGOがあるけれど、国連についても参考までにランク付けに加えてほしい、と思ったりもする。
 現事務総長は、初めて国連官僚から事務総長へ就任した人である。そのため国連でキャリアを積んでいく間に様々なしがらみが生じているのではないかと想像される。それが事務総長自身による不透明な人事などにつながっているのだろう。生え抜き事務総長のメリットとデメリットについて、じっくり考えるべきなのかもしれない。
 ついでにいうと、現事務総長は、特別代表をどんどんつくって、紛争の仲裁などを任せ切り、というようにも見える。事務総長なんだから、自らどんどん乗り出していくべきだと思う。ハマーショルドのように。

| | コメント (0)

2004年7月 5日 (月)

ウィーンの中華料理屋

 国連で35年間人事を担当していたアメリカ人のオヤジが酔っぱらって話してくれた国連の古いうわさ話です。
本当かどうか、ご存じの方は教えてください。

 戦後30年近く、国連加盟に加盟している中国といえば、今の台湾(と呼ばれる地域?)でした。これが、米中国交回復後、大陸に位置する中国(中華人民共和国)が正統な政府として、国連に認められました。これにより、台湾出身の国連職員の立場が微妙になりました。
 国連は、原則として台湾出身者を追い出すことはしませんでした(ちなみに、アメリカが脱退したUNESCOも、アメリカ人を追い出すことはしませんでした。あたりまえだけど。ただ、脱退後、採用に当たっては抑制していたと言われています。)。
 しかしながら、台湾出身者を追い出した機関もあります。国際原子力機関(IAEA)がそれです。IAEAは、原子力という安全保障にかかわるので、追い出されるのも、それなりに理由はありそうです。ちなみに、IAEAは、最近まで、加盟国政府による推薦状がない応募者を採用しないこといしていました(国際公務員の中立性に反するとして、この取り扱いは廃止されたと聞いています。)。
 で、追い出された台湾出身者は、出身地に戻るよりも、ウィーンに残ることを選択し、結局、ウィーンに中華料理屋が沢山できた。

 以上、真偽のほどをご存じの方は、ご教示ください。

| | コメント (0)

2004年7月 4日 (日)

国連にフィリピン国籍の職員が多い理由

 国連にはフィリピン国籍の職員が多数働いています。
 その多くは、専門職以上ではなく、一般職です。
 世界銀行でも似たような状況だそうで、職員数ランキングでは、第3位だと聞きます。
 以下は、フィリピン国籍職員が多い理由についての私の仮説です。どなたか、本当のところを教えてください。
(以下、仮説)
 フィリピンには、東アジア最大級の米軍基地があった。特にベトナム戦争時には、重要な拠点であった。自然に基地への現地雇用が多くなっていた。
 基地勤務をきっかけに、アメリカの永住権を取得するフィリピン人が増えた。アメリカとしても、ベトナム世戦争への協力への返礼として、フィリピンに対し、好意的な配慮を行った。
 また、フィリピンは、長らく自国民が海外で働くくことを促進する政策を取ってきている。
 さらに、フィリピン人は、自国民同士のつながりを大切にするので、「引き」による採用も多い。
 なお、国連の一般職には、衡平な地理的配分の原則は適用されないことが、増加の背景として機能した。
 これらが相俟って、フィリピン国籍の職員が国連に多くなった。
(以上)

 仮説の妥当性は別にして、少しくらい日本も見習った方がいいかもしれないポイントもあるかもしれませんね。

| | コメント (0)

2004年6月15日 (火)

年金問題(旧ソ連等)

 2002年秋、第57回総会に提出された国連年金委員会報告書(A/57/9)には、かねてより問題となっている旧ソ連等(白ロシア、ウクライナなども対象になっている)出身の国連職員の年金支給問題に言及しています。
 冷戦時代、特に東側陣営出身の国連職員は、国からの派遣されている者が多くいました(職員規程にも、そのときの名残りとみえる規定が残っています。)。旧ソ連等については、そのような職員が本国に帰国した場合、国連職員年金基金に積み立てられた掛金を、旧ソ連等政府が運営する年金基金に移転し、一定の年齢に達したら、旧ソ連等の政府から年金を支給されることになっていました。
 しかしながら、旧ソ連崩壊後、年金の支給がままならず、それはそれは少ない年金しか支払われない状況になってしまいました。これについて、旧ソ連等を引き継いだ政府は、それなりの対応(といっても、十分な措置とは考えにくい)をとっているとしていますが、年金受給者にとって到底満足できるものではなく、年金委員会でも長らく懸案となっていました。
 これについて、ついに、第57回総会において決着がつきました。なんと、「この問題は総会では取り扱わない」という内容が盛り込まれた総会決議が採択されたのです。悪い言葉でいえばソ連等を引き継いだ政府は、まんまと「臭いものに蓋」をしたわけです。
 正直なところ、これでいいのか?という疑問なしとしませんが、年金制度における、東西冷戦の名残りは、とりあえずこれでなくなったのかな、という感じです。

| | コメント (0)

2004年5月24日 (月)

ヘリコプター

シエラレオネの国連機関に勤務する友人からメールがあった。
何でもフィールド・リサーチには、UNAMSIL(United Nations Mission in Sierra Leone)のヘリコプターで出掛けるそうだ。道路事情が悪いから、というのがその理由だそうで。

MONUC(United Nations Organization Mission in the Democratic Republic of the Congo)のことを思い出した。このPKOは、とても広い範囲(ほとんど西ヨーロッパは収まるくらい)をカバーしなければならず、運輸コストがかさむのが、予算当局や加盟国の悩みになっている。
逆に、運輸サービスで儲けている人達もいる。具体的にはPKO関係の空輸サービスはロシアの輸送機の比率が高い。ロシアとしては、このstatus quoを維持するために躍起になっていることは想像に難くない。

ついでに、かつて、国連にはNon-familiy Duty Station(家族帯同不可勤務地)という考え方がなく、どんな紛争地であっても、家族帯同が原則だったそうだ。1970年代から国連職員をされていたさる方から、配偶者と共に乳児とを抱え、ヘリコプターで紛争地(確かスリランカ)に赴任したことがあるという話しを聞かされたときはびっくりした。ベッドで寝るより、ベッドの下で寝ることの方が多かった時期もあるとか。非人道的な職場環境で人道支援をしていた、ということか。

| | コメント (0)

2004年5月20日 (木)

国連の年金2

 あるとき、Domestic Partnershipというのを年金関係の国連文書のなかで見付けました。多分内縁関係を指すんだろうなあ、と思っていたら、国連文書の枠内では、主に同性間の内縁関係・結婚関係を指すことになっていることがわかりました。アラブ諸国は、同性間の内縁関係を厳しく指弾していますが、そういうこともあって、婉曲な用語を使っているのかも。うーん。

 年金問題の一つの論点は、遺族年金の支給です。
 配偶者は、国連職員の遺族年金を受け取ることができるが、果たして配偶者は、どの範囲を指すのか?配偶者でなくても、内縁関係でも遺族年金を支給すべきではないのか?一夫多妻で、夫が国連職員だった場合、残された妻はどれだけ年金を受け取れるのか?
 結論は、単純にいうと、国籍国の法律に従うというものです。
 ある国で、内縁関係であっても、パートナーが遺族年金を受け取れるとすると、その国の国籍をもつ国連職員の内縁関係のパートナーは、遺族年金を受け取れる、といったものです。
 したがって、同性婚を認めている国の国籍の職員の配偶者は、遺族年金を受け取れるが、そうでない配偶者は受け取れないことになります。
 ちなみに、一夫多妻の場合は、イスラム教を想定すると、4人夫人がいる場合、一人分を4等分することになっています。

| | コメント (0)

2004年5月19日 (水)

国連の年金

 国連の年金制度は充実している。5年で年金権が生じる。キャリアの最後の3年間の給与をベースに年金額が決定される。要するに現役最後の最も給与が高い時期をベースに決定されるので、現役の平均よりも年金の方が多くなる場合も多い。このような年金制度であっても、年金基金は潤沢で、その理由の一つは、国連では、短期雇用者が多く、5年以内で別な職場に移る場合が多いことが挙げられる。年金掛け金は、職員と使用者が半分ずつ負担するが、5年以内に退職する場合にんは、職員の納めた掛金(と利息相当分)が支給され、使用者の掛金は、手つかずのまま年金基金の資産となる。
 使用者の掛金は、究極的には、加盟国からの分担金・拠出金なわけだから、一定の事務経費を差し引いて加盟国に返還すべきでだと思う。そうでなければ、年金をポータブル化するくらいの工夫が欲しい。

| | コメント (0)

2004年5月10日 (月)

JPO and after

かつて、国連機関に若者を送り込む仕事(JPOプログラム)をしていました。国際機関に継続的に雇用される可能性はそんなに高くありませんでした。任期終了後、日本に戻ってくるパターンが多いのですが、送り出しの際、「任期後の面倒は見ません」という気持にはなれなかったし、ヤクザ風に言うならば、「おめーらの骨は俺が拾ってやる」とも言えませんでした。そこまでは責任を持てません。
 国際機関での勤務経験は貴重だと思いますが、いざ帰国する場合には、なかなか適当な職場がなかったりします。
 青年海外協力隊もそうだけど、経験者が帰国し、社会をすこしずつ変えてくれるような
ことを夢想したりするので、どんどん海外に飛び出すことはいいことですし、帰ってくるのもまたよし、と個人的には考えています(私自身は、海外在住はまっぴらだけど)。

 ということを書いていて、「はてしない物語」の最後の辺りの場面を思い出しましたので引用します。
 書店主はファンタージェン(本の中の世界)から帰ってきたバスチアンにこう言います。
「絶対にファンタージエンにいけない人間もいる。いけるけれども、そのまま向こうにいきっきりになってしまう人間もいる。それから、ファンタージエンにいって、またもどってくるものもいくらかいるんだな、きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」

| | コメント (0)

2004年4月28日 (水)

英語苦労話

 英語で苦労しました。
 英語で仕事をするつもりがなく、端的に言えば、不得意なのにもかかわらず、頻繁に国連の会議に出席し、発言しなければならない仕事をさせられたとき、特に大変でした。

 NY在住当時、仲の良いボツワナの外交官をホームパーティーに誘ったとき、彼が、
「どうして洋一は英語ができないの」
と質問してきました。それに対して次のとおり答えました。
「日本が凄い国だから。大学はもちろん、大学院の博士課程まで、国連公用語以外の言語で教育を行えるのは、日本以外には、ほとんどない。だから日本人の多くは英語ができないし、私も英語ができない。」
 彼は納得し感心していました。彼の頭には、英語以外の高等教育という考えがなかったのでしょう。

 NYに赴任後、せっせとバーに通った。日本にいるときもバーに通っていたし、一人で飲みに行くのが好きだったし(実は孤独癖があるのよ)。
 NYの場合、バーに行ったら、話す機会も多く、日常会話レッスンになった。バーで覚えた英語なので、まさに「酔ったら話せる英会話」だった。
 まあ、仕事では、折り目正しい国連英語だけで足りるので、それはそれでよかったのだけど。


 深夜(というか未明)に及ぶ交渉が続いていた会議室。大変印象深い出来事があった。
 決議案の審議において、あるパラグラフを日本が頑強に主張していた。これに対し、表立って賛成する国はなく、反対する国が多かった(反対理由があるとすれば、既得権に抵触してしまうことで、賛成がないのは、グループの締め付けとみてよかった。)。このため、このパラについて合意に達することができなかったので、最後に審議することとされた。そのとき、私は、会議場での孤立を覚悟した。
 審議が最終段階を迎え、このパラの審議に差し掛かったとき、議長は言った。
「このパラは、ある国にとって、大変重要なパラだ。そして、その国は、われわれにとって、大変重要だ。」(This paragraph is very important for a country......the country is very important to us.)
 ほどなく合意に達した。

 議長は、日本の言い分に分があると考えて采配してくれたのでしょう。外交官らしい、印象的な言葉でもって。しかもそれが、中学レヴェルの英語だったのがまたよかった。やっぱ、内容だよ。


 「国益を賭けた英会話レッスン」
 「広報局による英会話添削」
 これ、わかる人にはわかる。
 本当に会話が苦手です。旧文部省の英語教育のせいかもしれません。
 一方で、旧文部省の英語教育のおかげで、文章を書くことは、そこそこできました。
 会議での演説原稿を書くのは、むしろ英語力よりも、知識と構成力がモノをいうので、ハンディを感じませんでした。
 そのとき感じたのは、「日本語力と英語力の相関関係は極めて強い」ということでした。

 そんなことを考えている時期に、英語と日本語の両方ともネイティブではなく、どちらも満足な文章を書けないという人に出会いました。人に聞くと、「セミリンガル」と言われるようです。少し驚きがありました。

 こんなことがあったので、私は、早期英語教育反対論者になってしまいました。まずは、母語をしっかり身に着けるべきだ、英語はその後に学ぶべき、ということです。
 ただし、少数のスマートな子どもには、早期英語教育は有効だとも考えます。
 どっちなんだと言われそうですが、「一律の」早期英語教育はよくないとはいえそうです。


 つらつらと書いていて、全然、苦労していないじゃないか、とおしかりを受けそうなのですが、「自分は苦労したぞ」と書くことについて、ちょっと気が引けているのでご容赦ください。

 さて、NYにいた時の直属の上司は、(当然冗談で、)「貴様それでも帝国軍人か!」と時々仰っていた。
 良い面だけに着目すると、帝国軍人は、「規律正しく、士気も高く、日本の国益を第一に考える人」といえるのでしょう、きっと。
 しつこいようですが、良い面だけに着目すると、帝国軍人は、よい外交官ということになります。

 英語の苦手意識を、気合で補っていたのですが、それに加え、一時的にせよ外交官として働いている以上、「貴様それでも帝国軍人か!」といわれて、恥ずかしくないように仕事をするという基準を自分の中に定めました。
 そのなかの一つは、会議に出席し、結果を報告する際、「これこれこうなりました。」という単なる報告を禁じ手にしました。必ず「こう主張し、こう反対され、ここまで譲って、このように合意しました。」というように報告すること(できること)を自分に課しました。

 そうすると、英語の問題を乗り越えるよりも、はるかに難しいたくさんの問題に直面し、いつしか、英語が少々通じないことで悩んだり、オロオロしたりすることがなくなりました。
 こうして、私の英語問題が、心理的には解決しました。旧文部省英語を高校までみっちり勉強した者にとって、心理的に解決するということは、結局、すべて解決したのと同じでした。。。

| | コメント (0)