戦後、日本は、社会保障などの行政サービスを充実させながら発展してきた。行政サービスの充実は、行政サービスに従事する公務員の仕事の増加を意味するけれども、国家公務員の人数はほとんど増えなかった。地方公務員は漸増しているけれども、戦後になって初めて本格的に地方自治が始まった上、人口もここ60年で倍近くまで増えてきており、増えない方がおかしい。国家公務員が増えなかったのは、定員法のおかげである。この法律のおかげで国家公務員は増えなかった。この法律の基本は、定員の範囲内で人員を融通することである。外務省は増え、農水省はかつての半分程度に減らされてきている(しつこく繰り返すけれど、人口に対する公務員数の比率(軍人を除く)は、日本はアメリカの半分以下である。特殊法人等の人数を増やしても日本の公務員の人数はたかが知れている。)。
定員法により、政府に新しいマンデートが与えられても自ら実行することは困難になった。そのため、政府は多くの特殊法人や公益法人をつくることになった。これが天下りなんていう人事慣行と結びついているものだから、問題が複雑化している。いずれにせよ、新たに特殊法人等を作るのはほぼ不可能でそれどころか廃止される、というのが現状である。
財政の危機的状況、定員法、特殊法人等の新規設置ができないこと、などを勘案すると、新しいことに果敢に取り組むという気持ちがなくなってしまう。これが現在の霞ヶ関の人たちの大方の気持ちかと思われる。その上、公務員批判に晒されているものだから、やる気を出して仕事をせよ、というのは無理である。
国連の場合、定員という考え方はない。マンデートに従って人員を配置するという考え方である。新たにマンデートが生じ、それに財政的な裏づけ(人員を含む)が必要な場合には、審査する機構が曲がりなりにも存在している。それによって、マンデートと予算と人員につながりが確保されている。マンデートが加えられて、予算はそのまま、なんていうことは、国連にはない。日本の場合は、政治の立場からすると、マンデートは加え放題、予算と人員はそのまま、という状況である。いいのか?
また、適正人員の配置という考え方が徹底している。例えば、PKOの改革についてのブラヒミレポートは、つまるところ、PKOの職員が普段残業せずに仕事をできる人員は何人か、というところが最も大きなポイントの一つだった(コンサルタントが週の残業時間を調査していた。)。
日本政府も、マンデートとそのための資源という観点から全体の定員を見直す、ということを行ってはどうか。定員を増やしたくなければ、一部のマンデートを政治に廃止してもらえばいい。これまでのように、「とにかく人数を減らす」というやり方で政治主導を発揮するのはもったいないし、行政官のモチベーションや行政サービスの質の劣化が進んでしまう。できれば、政治主導は、「やらなくていいことをやめさせる」ってところに発揮し、その結果として公務員が減る、という順序だといいのだけれど。
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