08 国際協力

2008年11月 8日 (土)

農業・中国・フィンランド・国際協力

 貿易の有効性を説明する原理は、比較生産費原理しかない。経済学ではそう習った。
 簡単に言えば、ある国A,Bが、同じ投入で、二つの材、X、Yを生産する場合、例えば次のとおりだとする。
        A国          B国
 X       100         90
 Y       120         80

 この場合、B国は、XについてA国よりも生産性は低いが、国内では比較優位にある。結果Xをたくさん生産し輸出するのがいい、というものである。

 で、中国と日本を比べた場合、農業は、中国の生産性の20倍といわれている(労働投入量等で測った場合かと思われる。)。そこまでいかなくても、中国の生産性よりもかなり日本の生産性の方が高い。しかし、為替レートがそのような日本の優位性を無くしてしまっている。

 つまり、日本の農業は様々な問題はあるものの、経営努力をして世界的にみてもかなりの生産性向上を行ってきたが、工業製品の技術革新には追いつけず、国内の比較優位を失った。逆に言うと、教育水準の高さ、国民性等が、たまたま工業製品の生産に適合的であり、20世紀に工業国として覇を唱えることができたわけである。

 中国よりもはるかに高い生産性をもつ日本の農業が、中国の農産品により駆逐されてしまっていいのかどうか、少し考えてみてもいいのかもしれない。
 特に、環境制約が厳しくなっていくなかで、輸送に膨大なエネルギーを使うことが妥当かどうか、という議論も出てくる。外部不経済を考慮に入れた場合、中国からの農産品の輸入は妥当な選択と主張するのは難しい。

 ついでに、フィンランドは、農業国から、重化学工業国を経ずに、そのまま知識集約型工業を発展させることに成功しつつある(成功している?)。経営学者は、一人のリーダーが存在したらかこういうことができた、というようなストーリーにしたがるけれど、私はそうは考えない。
 農業をやったことのある人はわかるけれど、農業というのは知識集約型産業である。ノウハウの固まりである。そして、コミュニティの協力とか助言が大変重要である。これって、知識集約型工業に適合的な仕事の仕方ではないか?フィンランドにはそういう素地があり発展したものと解することが妥当だと考えている。

 またまたついでに国際協力だけれど、これは、知識集約型産業である。つまり、国際協力においては、農業型に近いコミュニティを作ることが適合的な働き方の一つだと考えている。一つには、強いネットワークが極めて重要ということになるんだけれども。
 


 

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2008年3月22日 (土)

倫理の形成?

 江戸時代、武力行使をしなくなったものの、武士は引き続き軍事組織の一員であった。
 だいたい小人閑居して不善をなすのが通例だけれど、江戸時代の武士は違っていて、いわゆる武士道を発達させた。武士道といっても、主君に絶対的忠誠を誓うタイプのものもあるけれど、主君が天に反すること、つまりは、農民を含む人々を苦しめるようなことをする場合には、主君を座敷牢に閉じ込める、なんてことをしていた。
 経世済民を第一にする武士道が18世紀後半くらいから部分的にせよ形成されていった。
 各地に、立派な武士(というか家臣)の記録は残っているし、銅像を見かけることもある(なんとなく東北に多いような気がする。)。要するに、立派な人がいたし、立派な人を支える人たちがいたわけである。
 時間をかけて、ある種の倫理が形成されていったさまをここにみることができるけれど、武士の倫理(行動様式といえるかもしれない)が、明治政府にそのまま移行したといえそうである。ただし、それでは十分でなく、ドイツの官僚制を参考にしつつ、公正中立な試験を実施することで、中立的で合理性を追求する倫理をもつ官僚を育てていったと説明できるだろう。

 話は変わる。
 イギリスでは、長い時間をかけて、国王や議会を補佐する、中立的で合理性を追求する倫理を備えた集団が形成されていった。国王の官吏だけれど、議会が強かったため、議会を補佐するための組織が形成されつつ、適当な倫理ができあがったと推測する。イギリスにおいては、官僚組織の出現は、公務員の倫理の形成と並行して行われていたといえそうである。

 以上は、組織と倫理の形成について、私がなんとなく考えているものを書いたのだけれど、個人レベルでは、宗教などが倫理の形成に大きな影響をもっていると考えられるだろう。

 長々と書いてきたけれど、国際協力でガバナンスなどのアドバイザーをする人は、こうしたことくらい考えているべきだと思うのだけれど、そうではないらしい。いいのかなあ。。。

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2008年3月 9日 (日)

葬式宗教・・・

 「日本には、宗教を持たない人が多いからねえ。葬式は仏教でやったりするけど。」といった話はよく聞こえてくる。したり顔で言われるのはあまり好きでないし、「こいつわかって言っているのか」と感じる言葉が並んだので、「どうして葬式仏教になっているのか」と質問してみたことがある。

 結論からいうと、その場にいた、国際協力関係のみなさん(もちろん日本人)の誰も答えを知らなかった。意外だった。「どうして葬式仏教になっているのか」くらい、中学生でも知っていることだと思っていた。というか、私は中学3年生の時に習った。

 仮に知らなくていいとしても、キリスト教やイスラム教の知識をひけらかすのであれば、これくらいのことは知っておくべきだろう。また、国際協力関係者は、日本の宗教について説明する場面に遭遇する確率は高かろうから、こういう基礎知識くらいもっておいて欲しいと思う。そうでないと、無用に「日本はいい加減だ」という情報を流すことになるかもしれないし、それ以上に、「こいつ、何も知らない」というレッテルを貼られることになっているかもしれない。なお、こういうレッテルって、本人が気がついていない場合が多いから、いよいよ不幸である。
 

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2008年3月 7日 (金)

自転車/技術協力

 かれこれ20年近く前、ODA関係の仕事を担当していたとき、インドネシアから自転車についての技術協力の依頼があったらしいのだけれど、それに対して、自転車メーカーが「既にライバルだから」と断った、という話があった。その話をしてくれたODA関係者は、「やってあげればいいのに。」という非難口調だった(食い下がって自転車メーカーを困らせていた。)。
 そのODA関係者に対して、かなり反発を感じたのをよく覚えている。マーケットを少しずつ途上国に奪われており、先行きは暗いところに、更に打撃を与える対策を強要する権利がどこにあるのだろうか。

 それから20年近く経ち、かつて有名だったある自転車メーカーは、自転車事業からほぼ撤退した(年間売り上げが数千万円単位まで縮小)。その過程を少し調べてみると、気の毒としかいいようがない状態である。
 件のODA関係者には、「ODAはやるべき」という気持ちが先行して、それ以外のことを考慮していないように思える。その人が現状をどう評価しているのか、聞いてみたいくらいである。

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2008年3月 4日 (火)

寿退社・・・

 ダイエット中の飲み会が二日連続した。
 一つは、牡蠣づくし、もう一つは、友人のおうちで、私主催のホームパーティー(考えてみたら失礼な話かも。)。食べたいものを食べられないのは、ちょっと辛い。

 それはともかく、牡蠣づくしは、NGO×3人、役人二人だったのだけれど、NGOの方から、「男性の寿退社」についての話を聞いた。NGOの給与水準が低いので、結婚を機にNGOを辞めて企業等に転職することがある、とのこと。
 いやはや。
 NGOにもっと資金が集まるようにしないとやっぱりまずい。。。

 一方で、ホームパーティーの場所を提供してくれるそこそこ年配の友人はNGOの職員だけれども、瀟洒なマンションに住んでいる。やっぱ、若いうちに稼いで歳をとってからNGOというパターンがいいのかも、と考えたりする。

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2008年2月 6日 (水)

NGOと保険会社

 某生命保険会社の企画部門の人と話をした際、「AIGがインドでNGOを通じてマイクロ・インシュランスをやっている、そういう長期的な取り組みをしないのか、それは長期的な利潤にも結びつくかもしれない。」と質問したらおおむねこんな答えが返ってきた。

 「AIGなどのフィランソロピーなどの活動は調べている。しかし、NGOには、何かにつけ攻撃されていて、NGOと組む、という発想は日本の保険会社には絶対に出てこない。国外のNGOを支援しようものなら、国内のNGOに何を言われるかもわからない。したがって、AIGのような取り組みはできない。やりたいけれども。」

 NGOにも色々あるけれど、そんなもんだろう、と思う。ただ、良心的なNGOは気の毒だと思う。

 これに限らず、民間企業の活力を奪う仕組み、良心的なNGOが活躍しにくい仕組みが出来上がっているように思えてならない。
 いいのか?

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2008年2月 5日 (火)

ODAの説得力

 ODAの減額に関して、「ODAは票にならないから・・・」という説明を聞くことがある。これには、違和感がある。

 ODA以外の分野では、「票にならない」ことでも必要であれば政治家を説得するのが事の進め方だと思う。「ODAは票にならない」という理由付けが聞こえるうちは、「甘い」と言われても仕方がないのではないか。

 次元が違う話だけれども、死刑について、国民の多くは賛成している。しかし、超党派で死刑への反対を主張する議員連盟がある。かなりの割合で参加している。つまり、彼らは、民意に反しても、つまり、票を失っても死刑の廃止を主張している。
 ある作家が「死刑反対だけれども、オウム真理教の教祖麻原彰晃は死刑以外の対応を考えにくい」といった趣旨のことを書いているのをみたことがある。この場合、作家は一個人として「信条と心情」の葛藤を表明しているわけだけれど、それとは違い、議員は、例えば「麻原彰晃の死刑に反対するような連中だ!」という政敵からの批判に耐えなければならないというリスクを冒している。
 一方、ODAの増額を主張したとしても、死刑廃止を主張するよりも政治的リスクは小さいと想像する。

 死刑廃止というリスクのある主張をする覚悟を政治家にさせるような、説得力のある説明がODA業界にあるのか。そこが問われているんだと思う。

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2007年12月31日 (月)

平和協力/平和構築

 1990年、平和「協力」関係の仕事のお手伝いをさせられた。
 外務省としても、平和「協力」関係の仕事で盛り上がっていた。

 2007年、平和「構築」関係が盛り上がっていたりする。

 1990年当時、平和「協力」って、騒いでいたこと、ようするに、今の言葉でいうと、平和「構築」に日本が向かおうとしていて、誰が誰にとはいわないけれど、先導した人に、乗った人がはしごを外された、ってことを記憶している人は少ない。

 2007年の平和「構築」の盛り上がりが、2008年にまともな対応に恵まれるよう。

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2007年12月30日 (日)

ソマリア

 ソマリアから友達が帰って来ていたので、4S+(クワトロエスプラス)というバーでこぢんまり飲んだ。
 参加者が仕事をしていた国をならべると(複数回答有り)、中南米だとボリビア、パナマ、アジアだと、タジキスタン、中国、アフガニスタン、アフリカだと、ソマリア、エリトリア、南アフリカなどなどである。

 なんとなく普通じゃない人たちの集まり。
 ソマリアの写真をみんなで見ながら、電線があるのをみて、「いいなー」「恵まれている!」と反応するのは普通の日本人でないし、テントのような家をみて、「行きたい」「やる気がわいてくるね」などと言い始めるのもやはり普通でない。
 しかし、それが世界を見てきた人たちの常識である。ギャップは埋めたほうがいいだろう。

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2007年12月11日 (火)

ODAマニフェスト・・・

ODAマニフェスト、というのを政策研究大学院大学が事務局となった研究会(?)で取りまとめた。先日発表会があったらしい。
http://www.grips.ac.jp/forum/oda_salon/index.htm

 行政官の目からみて、「?」が多い内容だった。
 研究を下敷きにしているものでもないし、用語も首をかしげるところがかなりある。問題の大きさと施策の大きさのバランスも悪いところがある。

 それにしても残念なのは、現在、ODAワーカーを苦しめているのが、煩瑣な事務手続きであり、これが創意工夫を奪い、人材育成にも負の影響を与えているのが明白なのに、そういう点を重視する、という見識が示されていないところである。 マニフェストに至る議事録を読んでも、そういう話には食いつかない、という趣旨の発言がみられていた。

 また、嫌だなと思ったところがある。
 官庁の縦割りを批判しながら、官界からは、外務省と総合調整の内閣官房などが参加するのみで、厚生労働省や農林水産省、国土交通省などが参加していないことである。オールジャパンを名乗るのであれば、もっとそういうところからの参加を広く積極的に求めるべきではないかと思う。
 また、公共事業が20パーセント削減に対して、ODAは40パーセント削減、というようなことをのっけから書いていたりする。公共事業には公共事業なりの理由があったりするのに、20パーセント削減の理由を調べることなく数字だけで比較するのは失礼だと思う。

 結局、ODAの政策に関して、しっかりした提言はまだまだ難しい、提言をするための下敷きとなる研究も十分でない、ということを示してくれているように思えてしまう。 いいのか?

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2007年10月17日 (水)

ODAへの態度

 ODAについて不要論を聞くことが多い。
 政治家が不要論を唱えるのをみるとがっかりする。自らの選挙区の選挙民の声を反映しているのだろう。曰く、「ODAに割くお金があれば地方に回せ、と。」

 話は変わるけれど、国内で貧困層への支援をしている人と話したことがある。その人を含む仲間たちは、貧困状態にある人たちと運命を分かち合うことにコミットし、実践している。
 試しにODAについて聞いてみた。反対しているわけでなくむしろ賛成していた。遠い国ではあるものの、貧困状態にある人たちと運命を分かち合うことにコミットする、という共通点があり、その結果、ODAについて肯定的見方をさせているようだった。

 さて、国内の貧困状態を放っておけない人は、遠い国の貧困状態も放っておけないというのは想像がつく。一方で、貧困を抽象的にしか認知せず、その解決のため実践しない人は、近くの具体的な貧困や自分の利益に関わる貧困しか考慮しないのではないかと考えた。

 そういえば、フーコーは「性の歴史」で次のようなことを書いていた。
 「・・・人々はその実践によって、自らの行為の規則を定めるだけでなく、・・・自らの生を、ある種の美的価値を担う、・・・一つの営みと化そうと努力する・・・」

 この場合の実践者は、やっぱ、その生が「ある種の美的価値を担」っていると思う。一方でODA反対論者は、この分野での実践もないし、美的価値なんてことは考えないのではないか、とつらつら考えたりしている。

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2007年10月 1日 (月)

リトル・ドラマー・ガール

 ナイロビの蜂を読んだ後、無性にル・カレの小説が読みたくなった。
 ル・カレの小説は読みにくい。ファーストネームとファミリーネームが入れ替わり出てくるし、偽名も満載だし。イギリス風の言い回しも多用しているみたいだし(翻訳者泣かせだと思う。)。
 なので、元気があるときでないと読めない。で、本棚にあった、以前読んだことのある、リトル・ドラマー・ガールを読んでみた。丁寧に読んだ。15年ぶりくらい、である。

 パレスチナ問題が背景にあるのだけれど、当時はもっと差し迫った感触があった。今でも同じような状況だと思うけれど、マスコミは報道疲れを起こしているような気がする。ピンターではないけれど、「何も起こりはしなかった」わけではない。さまざまな暴力が起きているわけである。

 そういえば、ある援助機関のトップが、「圧倒的な不正義がテロの温床だ」と言っていた。
 そうだよな、と改めて思う。

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2007年9月29日 (土)

ナイロビの蜂

 映画「ナイロビの蜂」がル・カレの原作だと知り、見に行くのやめて、小説を読むことにしてから、ずいぶん経った(「存在の耐えられない軽さ」を見て以来、よくできた小説を原作とする映画はできるだけ見ないことにしている。)。今日、やっと読み終えた。彼の代表作の「リトル・ドラマー・ガール」もいいけれど、これもいい。

 援助を巡る、あくどい話にはこと欠かないので、舞台装置にはあまり興味を抱かなかった。パートナーを再発見する物語として読んだ。変則的な恋愛小説ってところか。
 主要な人物として、テッサとアーノルドという、優秀で正義感にあふれた援助ワーカーが登場する。ル・カレは女神や英雄のごとく描いていたけれど、私は仕事の関係もあり、たくさんのテッサやアーノルドを見てきたような気がする。小説のように、目を覆いたくなる場合もあるけれど、基本的に気持ちのいい業界である。

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2007年8月 6日 (月)

アフガン退去

 外務省が日本のNGOに対しアフガンからの退去を求めたとのことである。外務省から資金の提供を受けているNGOは退去せざるをえない。これで日本のNGOのアフガンにおけるほとんどの活動が停止することになるといっていい。
 理由は、タリバンによる韓国人の人質事件らしい。

 邦人の安全にかかわる問題が起きた場合に多く方面から寄せられる激しい批判を想像すると退去を命じる外務省の気持ちはわかるけれども。

 しかし、これはタリバンの思う壷ではないか?人質事件を起こしたら一部の国の対応が怯む、ってことがわかったら、さらなる人質事件の誘因にならないか?タリバンだけでなくて、他の紛争国でも同じことが起きないか?

 こういう場合こそ毅然と対応するのが国際社会の常識のように思うのだけれど。

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2007年6月23日 (土)

のだめ

 漫画「のだめカンタビーレ」(1~18巻)を読んだ。
 「すごい才能がありそう」ということを「チラリズム」でここまで引っ張るのはどうか・・・なんて思った。音大生や業界の生態の描写は、それなりにリアリティがあって面白かったけれども。

 どんなに才能のある奴でもなかなか就職に恵まれない、というところが、どこかの業界に似ていて、ドキッとした。芸術文化への財政的支援が低い水準になっているのが主たる原因といえるけれど、改めて世界を見渡してみると、芸術文化とODAへの公的な支出は、どうもパラレルといえそうである。もっというと、アメリカなどをみていると、民間部門による支出もパラレル、という気がする。さらにいうと、芸術文化振興の必要性を感じ取ることのできない人は、ODAの必要性を感じ取ることができないように思う。

 教訓:「芸術文化を軽視する国・社会・人は、ODAをも軽視する。」

 ついでに、防衛省の友達と話していたら、自衛隊の音楽隊に優秀な音大生が殺到しているそうである。好きな音楽を仕事にして、休みには市民楽団にでも入って楽しみ、その上、収入が安定しているわけだからわかるような気がする。

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2006年12月 5日 (火)

モノ書きと国際協力ワーカー

 モノ書きの書く内容の質って、どれだけその人が多くのことに、また、鋭く痛みを感じているか、ということに大きく影響されている。かつて、桐野夏生が好きだったのは、このことが理由かと思う。

 ついでに書くと、中原中也の詩(羊の歌)に、次のような節がある。

 「それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、
  罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
  (中略)
  せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!」

 ドキッとする。「感じ得なかったこと」で、「罰されて」、「死が来たる」なんてことだったら、私はとうの昔に死んでいる。
 それはさておき、小説家とか詩人などのモノ書きは、人の痛みなど「私が感じ得なかったこと」を感じさせるところに、その意義なり質の高さを測る尺度なりがあるように思う。他にもいろいろあるとは思うけれど。

 話は変わるけれど、国際協力ワーカーの仕事も、どれだけ、世界の貧困とか病気とか不公正とかを自分の痛みとして感じているか、ということに大きく影響されていると思う。
 もっといえば、普通の人が感じなかったニーズなりを感じ取るところに、国際協力ワーカーの存在意義なり仕事の質の高さを測る尺度なりがあるように思う。
 さらに言えば、「利潤追求」という主たる目標が安定して存在する民間部門とは異なり、国際協力の場合、解決すべき問題は多様化するし、目標そのものが揺らぐし、それを支える価値観も変化していく。そういう状況であれば、「国際協力ワーカーとしての自分がどうあるべきなのか」を考え続ける必要があると思われる。
 モノ書きもそうだけれど、つくづく疲れる商売だと思い尊敬する。モノ書きもそうだけれど、好きでないとやっていられないとも思う。

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2006年11月29日 (水)

ODAの問題

 先日の勉強会で、スピーカから、政府からODA資金をもらったとき、事務が膨大な量になることを嘆く発言があった。
 これ、全ての日本の開発コンサルタント及びNGO職員が同意する指摘である。

 背景の一つには、日本の予算・会計システムが、成果重視のプログラム予算ではなくて、費目ごとにちゃんと領収書が切られたかをチェックする細目予算であることがある。例えばアフガンの事業であってもLAST COINまでカウントすることが求められる。
 また、ODA批判もあり、会計検査等が厳しくなりがちであることが挙げられる。プロジェクトの評価も個別に行う。そこに、さらに法律に基づいた政策評価がかぶさる。無茶である。

 実際に、現場が、無駄であり、時に無茶である膨大な作業(帳尻合わせに奔走する)を強いられ、苦しんでいる。国際協力に夢をもっている人たちの夢までも擦り切れさせている。

 そのような膨大な作業を開発コンサルタントやNGO職員に押し付ける仕組みは、ODA批判・公務員批判・説明責任重視という流れの中でできてしまったものである。
 仮にこれを変えられるとすれば、JICAか外務省しかない。しかし、そういう組織に働く人ほど、「ODAの在るべき姿」を論じたがり、事務の膨大さでODAのプロジェクトが窒息しかかっていることを語らない。自分たちが苦しんでない分、事務が膨大で煩瑣であることに興味を持たないわけである。
 「ODAの在るべき姿」を論じる前に、ODAワーカーの活力を高め、色々なアイデア、知恵を引き出してく環境整備を行って行くことの方が優先的な課題であることに気がつくべきである。このことに目をつむって、自分たちだけで「ODAのあるべき姿」を論じ続けても、誰もついて来ないし、力のある良い政策も出来上がらないし、日本のODAがコストに見合った質の高いものにはならない。
 誰の目からみても損失である。

 私自身は、人材育成に興味があるわけだけれど、どうしたら、国際協力を志す若い人たちの育成を進める仕組みを作れるかといつも考える。
 一つのボトルネックが、上記のとおり、優秀な若者が、煩瑣な事務に埋没し、夢を擦り切らせていることである。
 なんとかならないかと強く思う。

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2006年10月23日 (月)

ソクラテス・キリスト・空海・宮澤賢治・国際協力

 ソクラテスやキリストは、処刑される前に、晩餐を開いたと伝えられる。
 空海は、自分の死期が差し迫っているのを感じ、断食をした、と伝えられている。死にゆく者として、これ以上の殺生はしない、と考えたそうだ。

 日本人的な感性からいうと、空海の考え方がしっくりくると思う。こういうミクロなところに、欧米と日本との間の、大きな考え方の違いが見える。

 もっといえば、これまで日本の社会を作ってきた基本的思想である空海のような考え方が、これからの社会を作っていくにも適合的だと思う。空海が古すぎる、と考えるのなら、宮澤賢治でもいい(これも古いけれど。)。

 いずれにせよ、そういう「日本の良さ」がぎっしり詰まった人とか思想とかを理解していくことが必要だと考えている。こういった思想をとぎれず伝えていくことが、日本人の国内的かつ国際的使命であると言いたいくらいである。
 空海にせよ、宮澤賢治にせよ、実践知に満ちており、国際協力の現場で、アイデアを刺激したり応用できたりすると思われる。国際協力の分野で、「日本の良さ」を伝えたいのであれば、この辺りから学び、思考を鍛えていくことも必要ではないかと思う。
 もっといえば、日本のめざましい経済成長とか、社会の安定などを手本にする、というような、外から見てもわかる安易な考え方を採用するのではなくて、もっとその背景にある思想や考え方を吟味しながら、伝えるべき「日本の良さ」を考えるべきではなかろうか。前者は、誰にも理解できるけれど、後者は、日本に生きている人にしか理解しにいくいものであり、日本人以外が発信するには、相当な困難が伴う。しかし、これこそが世界に伝えるべきものだと思われる。

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2006年10月22日 (日)

大開墾時代・国際協力

 ヨーロッパにおいて、17世紀までの約200年間は、大開墾時代と呼ばれている。
 農業・畜産業の生産拡大のため、森をどんどん伐採していった。宣教師たちは、「森には神がいない」と言っていたとか。
 その結果、イギリスやスイスでは9割、ドイツで7割の森が失われたと推定されている。
 そのドイツでは、「木を切ってはいけない」という法律が制定されたりしている。大きなタイムラグがあるけれど、極端から極端へ動くのを見るのは、違和感がある。

 一方で、日本は、森を守り通してきた。企業でさえ、所有している森を必要な場合にしか転用せずに来ている。市場万能主義とは違う倫理観がそこにはある(こういう倫理を捨てて痛痒を感じない、もしくは、そういったタイプの倫理が存在していることさえ知らない人たちがたくさん育ってきてしまっていることが、森だけでなくて、この社会への最大の脅威だと私は考えている。)。

 いずれにせよ、ヨーロッパと日本の森に対する考え方の違いとその帰結は、対照的である。
 「持続可能な成長」という言葉があるけれど、これは、欧米型の土地の収奪を基本とした考え方からの転換であって、これまでの日本の社会の仕組みを考えた場合、少々傲慢に「何を今更」と感じるくらいの、日本の社会の仕組みへの理解があっていい。
 特に、国際協力を志す人たちには、こういった「日本の良さ」をしっかり理解しておいて欲しいと思う。

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2006年10月18日 (水)

ODAにおける知的貢献について

 ODAにおける知的貢献とは、「資金」でも「人材」でもなく、「知識・アイデア等」に関わることで、国際社会へ貢献する、ということかと思われる。しかし、具体的に考えると、何なのかよくわからない。
 ここでは、とりあえず、「知的貢献」として、「人間の安全保障に関するイニシアティブ」とか、「専門的知見の提供」とか、そういったことを念頭に置いてみて、知的貢献を行うにはどうすればいいかについて考えてみる。

 知的貢献は、知識・アイデア等に関わることであるから、知識・アイデア等を持った、または、問題に直面して、知識・アイデアをひねり出せる能力のある人が存在することが前提となる。
 また、知的貢献のためには、「貢献」という行為を行う機会が必要である。山にこもった賢者に話しを聞きに行く時代ではなく、多くの場合、自分から現場に赴かないとその機会は与えられない。
 つまり、「人」がいて、「機会」がないと、知的貢献は行うことができない。

 「人」というのは、お金と時間をかけて育成する必要がある。
ODA業界における「人」は、ODA担当の行政官、JICA等開発関係機関職員、国際機関職員、NGO職員、研究者等を指すことになる。
それぞれ個別に検討することはしないけれど、人材育成は、総体として上手く行ってないと思われる。政府、特に外務省は、他の業界と比べた場合、ODAという業界の「業者行政」の一環としての、「業者の育成」に成功しているとは言えないのではないか。
優秀な若者が国際協力分野に多数参入しようとしている状況に鑑みるとなおさらである(十分な業者行政ができないのであれば、「国際協力を志すのを思いとどまりましょう」と伝える方が親切である。)。

「機会」というのは、具体的には「知的貢献」ができる場所ということになる。
 知的貢献の機会としては、「フィールドでの活動」がまず思い浮かぶ。フィールドで、知的貢献を行うためには、それなりの存在感を持つことが必要である。
日本の大使館、援助機関、NGOの「影の薄さ」=「存在感のなさ」は常々指摘されるとおりである。そういった中で、知的貢献を行おうとする個人の努力には困難が伴う。
ただし、日本の大使館は別格で、イニシアティブを取ろうとすると、比較的容易であると考えられる。何せ、日本が大国であることには間違いない(自らの外交関係の体験で思い知った。)。要するに、フィールドで知的貢献を行おうとする場合の鍵は、大使館による環境整備にある、といえそうである。
 フィールド以外での知的貢献としては、「国連の会議等でのイニシアティブの発揮」「研究成果の発信」ということなどがあろう。
 国連の会議等にもいろいろあるけれど、政府の代表(外交官)、専門家、NGOなどの参加していくものがある。そういったなかでは、まず、政府の代表の「知的貢献のための努力」が当然必要である。
次に、専門家の会議にどれだけ日本人を送り込むかは政府の仕事だろう(ミレニアムサミットのフォローアップの専門家の会議に何百人もの専門家が集められていたけれど、日本人は一人いたかいないか、だったりした。)。
 さらに、NGOの国連の会議等への参加についても、政府の側面支援があっていい(欧米諸国に比べてNGOに対して冷淡に見える。)。
 「研究成果の発信」については、要するに、政策担当者が、研究を支援するだけでなく、研究成果を尊重し、活用し、イニシアティブに結実しているための活動が必要である。つまり、これも政府の仕事である。

 結局、知的貢献については、「人」の面からみても、「機会」の面からみても、外務省をはじめとする政府の問題といえそうである。
 国際協力の分野で、欧米諸国に比べてみても、相当に不利な状況の下で、努力している若者は多い。そういう努力を無駄にするかしないかは、政府の取り組みにかかっている。
 やはり、個人やNGOや大学のさらなる努力を求める前に、外務省に頑張ってもらうほかない。

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2006年8月19日 (土)

国際協力:自らの社会を知っておくことの重要性

 国際協力のうち、「ガバナンス」という分野がある。「統治のあり方」に関係するのだけれど、行政機構、地方自治、市民活動など範囲は広い。
 ガバナンスについて、思うところがある。「ガバナンスが専門だ」と言っている日本人が、日本の統治システムについて、まったく知らなかったりする。むしろ、日本のシステムをよく知るガバナンス専門の国際協力ワーカーは少数派だろう。
 自分の社会の成り立ちをしっかり理解することなく、欧米流のガバナンスの理論を学んでいるものとみられるけれど、知識・経験の欠損がそこにあるように思えてならない。
 ガバナンスのような総合的なものは、いろいろな要素が複雑に絡み合っていて、外部のものから見たらなかなか理解できない。したがって、ガバナンスをよく理解するためには、自分の生きている社会の統治システムをしっかり観察するのが妥当である(知的訓練のためにも必須だと思う。)。そうやって、統治システムに対する認識を深めていく、という経験がなく、いきなり欧米流の理論を学んでも、浅はかな知識にしかならないだろう。
 国際協力に携わる人たちを眺めていると、ガバナンスに限らす他の分野でも妥当する場合が多いように思う。国際協力ワーカーの中には、「日本が嫌い」な人が多いこともひとつの理由だろう。それはそれでやむをえないのだろうけれど、知識・経験の宝庫を捨て去っているようで勿体無い。
 一般論として、国際協力では、現地の社会を十分に理解せず、自分たちの理論をそのまま当てはめるなどして、混乱を起こしていることが多々ある。自分たちの属する社会の成り立ちをじっくり観察すれば、理論で説明できないことがあまりに多いことに気がつくけれど、そういう(知的)経験をしてきていない人たちが起こしてしまう混乱だと思う。
 こう考えてくると、難しいかもしれないけれど、自分の属する社会をよく理解した国際協力ワーカーが増えてほしいと思う。
 ひとつ例を挙げてみる。
 Kさんは、医学生だった当時、タイでの公衆衛生への取り組みが社会に与えたプラスの影響をみて心を打たれた。これをきっかけに公衆衛生への道を歩もうを決めた。小児科を選んだけれど、すぐさま国際協力の道に進まずに、まずは臨床に取り組んだ。2年あまりの離島勤務では、地域社会にどっぷりつかるだけでなく、自分の専門外の診療(手術、出産など)にもできる限り同伴したり、さまざまな経験を積みながら、医療なり公衆衛生が社会において果たす役割などについて、じっくり考えた。その後、公衆衛生に関係する大学院に進学し、最近では、大学で教える傍ら、東南アジアでの公衆衛生のプロジェクトに携わっている。満を持してバイの協力に踏み出した、という印象を受ける。
 Kさんと話していると、「なるほど」と思ったり、素直に感動できることが、どんどん出てくる。自分の属する社会でじっくり考えた経験が生きていると感じる。何よりも、現地の社会を尊重する知的な態度は立派だと思う。
 Kさんは、「あせらず近道を歩もうと思わず、まっとうな理念と理想をもって、粘り強く専門性と見識を身につけようとしている」といえると思う。
 おこがましいけれども、Kさんのような国際協力ワーカーが増えていくことを願う。

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2006年7月13日 (木)

ODAの評価???

 政策などの評価は難しい。難しいだけでなく、折り重なっていて、全体像がわかりにくい。
 ODAに関係するものでも、
(1)政策評価(政策課題別にODAを評価している)、
(2)いわゆるODA評価(政策レベル、プログラムレベル、プロジェクトレベルにわたる評価)、
(3)独立行政法人評価
などがある。
 これらに加えて、会計検査や行政監察があったりして、アカウンタビリティへの対応に四苦八苦しているといえそうである。
 1970年代頃から、OECD諸国や国連では、日本のような細かな会計検査によるアカウンタビリティの確保より、政策評価に重点が移動してきている。日本のODAの現状を見ていると、細かな会計検査はそのままで(又はより厳しくなり)、政策評価やそれに関連する評価が加わり、業務量の大幅な増大に繋がっているように思う。
 ものの本によると、アカウンタビリティは、次の7段階に分けられているようである。( )内は、確保の方法の例を示す。
(1)Political accountability ・・・政治責任(選挙)
(2)Constitutional accountability ・・・統治制度の適切さ(裁判)
(3)Program accountability ・・・施策の成果。プログラムの妥当性など(政策 評価)
(4)Legal accountablity ・・・合法性、会計の妥当性など(会計検査)
(5)Administrative accountability・・・手続きの妥当性など(行政監察)
(6)Professional accountablity・・・専門職などの能力(ピアレビュー)
(7)Management accountablity・・・業績指標の達成など(業績評価・測定)
 わざわざ書いて何になるという感じがしなくもないけれど、政策評価、ODA評価、独立行政法人評価は、これら7つのレベルにどう対応しているかよく分からないし、重複もあろうかと思う。
 ODAについては、基本的な評価の設計からやり直せればいいのではないかと思うけれどもどうだろう。

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2006年6月18日 (日)

SCJの募金箱

 いわきの温泉に行った。セーブ・ザ・チルドレンの人もいた。
 いわきの名物(?)の「カニチャーハン」を食べさせるレストランでたらふく食べた後、勘定を済ませようとしたら、そこには、セーブ・ザ・チルドレンの募金箱が置いてあった。
 嬉しくなって、店員さんに、「ユニセフにせずに、セーブ・ザ・チルドレンの募金箱を置くのはどうしてですか?」と聞いてみた。店員さんは、困った表情をしてくれただけだった。
 ユニセフの友達には悪いけれど、ユニセフだけじゃなくて、いろんなNGOとかが募金箱を置いて欲しいと思う。一極集中的なのは、いろいろと弊害があるし、NGOの幅広い活動を知ってもらうきっかけにもなりうるし。
 SCJの募金箱は、デザインがごちゃごちゃしていて、わかりにくかった。セーブ・ザ・チルドレンがユニセフほどには有名ではないから、やむをえないのだけれど。

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2006年6月10日 (土)

藤井新さんのこと

 外務官僚だった藤井新さんは、韓国語の専門家である。韓国に留学後、アメリカに留学した。そこでは、法律を学んだ。
 彼が韓国留学中同じ寮だった人が、スパイの嫌疑をかけられた。彼は北米留学中の身だったけれど大騒ぎになった。嫌疑は失当であるけれど、心ないマスコミに叩かれた。
 日本に戻ってきてからは、奥まった部屋で仕事をさせられた時期があった。付き合っていた彼女とも泣く泣く別れた。「当時は、もう結婚はできない、と思い詰めていたんだよね。」そんな話をしてくれていた。
 公務員は、個人として政治に翻弄される危険がある。特に外交官はそうだ。何も、戦時中だけの話ではない。
 しかし、彼の勉強熱心さを買って、半島問題の専門家の大学の先生が、藤井さんのために勉強会を設置した。彼は、担当できない可能性もあると考えつつも、半島問題をライフワークに決めていた。
 ロシアとの航空交渉、EBRDの設立などの仕事をしていたが、しばらくして、韓国に
出張があったとき、「ああ、やっと裏切り者でなくなったと思った」と言っていた。
 その彼がたまたま国連代表部で上司となった。
 ものすごく厳しい。キレると手を付けられない。3ヶ月くらいは一日一回以上怒鳴られていた。しかし、勉強になった。見識のある指導をしてくれていた。責任を押しつけるような言い方は決してしなかった。怒鳴ったら怒鳴った分、フォローやリカバーをしてくれた。
 カラオケによく連れて行かれた。カラオケでは、いつもデビルマンを歌っていた。
誠実に生きてきた人だったのだけれど、それだけに、裏切り者扱いされたことが辛かったようだった。しかし、その頃には笑い飛ばせることができるようになっていたのだと思う。
 外務省で、国連外交、俗にマルチ、といわれるものは、なんとなく、適当にこなしている、という風体だった。沢山アクターがいるから、意見が通らなくても仕方がない、という雰囲気が見て取れた。
 しかし、藤井さんは、国連外交は、二国間外交の積み重ねである、一国を相手にするよりも大変であり、心してかからないといけない、と言っていた。
 日本が初めて分担金を引き下げる交渉でも、しっかりしたビジョンを固めて臨んでいた。交渉では、上(大使)と後ろ(本省)をしっかり固めて臨んでいた。交渉というのは、こうやってやるんだよ、という見本を示してくれたようだった。確かに、上と後ろを固めずに交渉をして崩れた例も、いくつか見かけていた。
 各国からの信頼も厚かった。国際会議で堂々と発言し、尊敬を勝ち得ていた。
 外務省では、電報で仕事をする。自分が参加した会議の報告を、「これこれこうなりました」なんて書こうものなら、怒られた。「こう提案し、こう反論され、結果、こうすることにしました」と書いたら、満足してくれた。
 仕事上は、いつもオープンだった。職務上の必要な秘密こそ、グループ内で共有し、個人個人がしっかり秘密を守るべきだ、という考え方だった。私の担当する仕事に関する情報はすべて伝えてくれていた。
 多くの上司は、自分だけの秘密を握っていて、何か提案などを持っていったら、「きみ分かってないよ」と部下を指導する。藤井さんの場合は、部下と同じだけ情報をもっており、その上で、より質の高い判断ができないと、上司たる資格がない、と考えていたし、そう口にしていた。
 ついでにいうと、外交において、さすが外務省と言われるようでないと他省庁の調整役になってはいけない、とまで言っていた。調整役にこそ見識の高さが求められる、と考えていたようだ。
 足して二で割るタイプの調整をする官僚を、「ダラ官」(だらだらした仕事をする官僚)と言って軽蔑していた。
 国連代表部の後、本省の中東一課長を一年余り担当した後、念願の北東アジア課長に着任した。六カ国協議が開始されるときだった。当時の竹内次官が、「いよいよエース登板」と言ったと新聞に出ていた。完全に「裏切り者」ではなくなっていた。
 本人は、半島問題に戻って来れた、と嬉しそうだった。そういえば、国連代表部にいたときも、時間を見つけては、論文を読んでいた。北朝鮮の国際法に関する教科書を手に入れ、北朝鮮は、国際法をどう捉えているのか、といったことを調べていたりした。
 半島問題に関わること機会を待ち、ねばり強く専門性を高めていた。課長だったら2年程度、参事官、審議官あるいは大使を経験しても、長くても数年だろうけれど、当時国連代表部にとって最重要だった仕事に邁進しつつ、勉強していた。彼を見ていて、仕事の内容にもよるけれど、アカデミックなトレーニングや研究は、大変重要だ身に染みた。仕事を始めてから慌てて勉強をする、というのでは済まない世界もある。
 日本に戻ってから、しばらくして、彼女もでき、結婚の算段を立てていた。「僕もね、結婚できる身分になったよ。」と言って嬉しそうだった。
 北東アジア課長就任半年後、2003年11月、その彼が病に倒れた。
 一にもなく、お見舞いにいった。北東アジア課の方には、遠慮して欲しいと言われたけれども。
 「これからガンと闘うんだ。勝ってみせる。」といつもの藤井さんらしく気丈に振る舞っていた。
 しかし、入院して、お正月に一旦家に帰ったものの、2004年1月末、帰らぬ人になってしまった。
 国連代表部にいたときには、「これができたら、死んでもいい、と思える仕事をしてから死にたい」と言っていた。彼は、半島の平和、というような、大きなことを考えていたんだと思う。
 当時の外務省の人事課長は、藤井さんの唯一の部下として2年間も薫陶を受けたのは君だけだ、と言っていた。お母様には、時々私の話をしてくれていたようだ。お葬式で会ったときは、涙があふれた。
・・・・・・・・
 藤井さんのことを思い出しても、涙をこらえることができるようになったのは、1年以上経ってからである。
 しかし、このことは、まだ整理できずにいる、というか、整理したくない。見たままで心の中にとどめておきたいと思う、できるだけ長く。

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2006年5月20日 (土)

政策は面白いが人材育成は面倒

 ODA政策に関わることは、面白いのだと思う。
 次から次へと援助の潮流を追いかけたり、作り出したりしていくのは、楽しいといえば楽しいのだろうと思う。
 ただ、ODAの場合、「それで何が変わっているのか?」と思うときがある。「標語」の差し替え遊びをやりすぎてないか?「不易流行」といえる部分をもっと重視すべきではないか?もっと開発ワーカーの人材育成とか地味なところに力を入れたほうがいいのではないか?
 国際協力はきめ細かに行うことが重要である。多分、多くの人がそう考えている。しかし、国際協力ワーカーの育成のために、そのきめ細かさを発揮しないのはなぜだろうか。
 なんでこんなことを書くのかというと、このところ立て続けに、ODAの政策に携わった経験のある人に会い、ちょっと違和感を感じたからである。彼らは、人材育成のような面倒なことを本能的に避けていた。人材育成も政策の一つだけれど、視野に入れると面倒なので避けているらしい。それでいいのかね、と言いたくなる(言ってしまったが。)。

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2006年5月19日 (金)

ポストと人

 日本の行政組織だと、社会のすみずみまで、行政サービスを行渡らせることが必要であり、適切にポストを配分して、抜けのないように対応していくことになる。その際、ポストにどんな人がついても、組織としてのミッションを果たすことができることになっている(フィクションだけど)。
 その上で、ポストが担う職務の困難性、重要度などを勘案して、給与が決められることになっている。
 これは、行政組織のあり方として、合理的だと思う。
 一方で、国際協力の場合、社会のすみずみまで行政サービスを行渡らせることよりも、「よりより社会をつくる」プロデューサのような仕事をしている場合も多い。
 そいうい仕事は、予めポストがあって、そこに応募して、給与をもらいながら、という行政組織のようはやり方が適用しにくい場合もあろう。
 国際協力の仕事をしている人をみていると、「この人にお金を付けるべきではないか」と思う場合がよくある。その人に、まかせれば、とってもいい仕事をしてくれる、と考えているわけである。
 つまり、ポストにお金をつけるのではなくて、人にお金をつけることができないか。そういう部分を増やせないか、と思う。 主にNGOを想定しているのだけれど、インターネットの世の中であり、個別の資金集めは容易になっているので、不可能ではないかもしれない、なんて考えたりする。
 ポストや金に人が振り回されるのを、「疎外だ!」なんて叫ばないけれど、なんとかそういう不幸を減らすすべはないものだろうか。

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2006年5月16日 (火)

ODA反対論

 ODAは、国民の支持が必要である。
 ODAに反対する人もおり、なかなか難しい。
 ODAに興味をもたない若い人から、ODAについて意見を聞く機会があった。
 いわゆる社会的エリート層を形成するであろう者の一人が、ODAについて反対論を述べていた。
 理由は、すべて「自己責任」に帰着していた。勝手にやってればいい、というものである。
 ほとんど考えを深めることなく、強い意見を持っていることに驚いた。
 ODAに対する支持が必ずしも強くないのは、こういう考え方を持っている人が案外多いからなのかもしれない。
 いじわるな私は、「家族が病気になったら放っておきますか?自己責任ですよね。親戚は?会社の同僚は?」「自己責任の観点から日本の社会保障システムはどう考えますか?」「日本に資源を輸出している国で、その資源のために強制労働が行われていたとしたらどう考えますか?」とやんわり聞いてみた。
 少しは気がついてくれたかもしれないけれど、あまり期待してなかったりする。

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2006年4月23日 (日)

ODAの監査

 日本のODAの監査(会計検査、評価、監視、査察及び調査)は、世界一厳しいと思う。
 それに加え、多くの種類の監査があって重複感があり、成果よりもお金の辻褄合わせを重視する傾向にある上、監査結果を政策に生かすフィードバック回路が弱い。
 
 監査という重要な仕事のやりがいを大いに損なっている。
 つまるところ、ODA事業において、わずかの無駄を徹底批判する「民意」がそうさせている、と言っていい。何か不祥事があるたびに、チェック機能の徹底が主張され、折からの評価重視の方針から、監査の全体像をあまり意識せずに、種類が増えていく、ということになっている。
 傍からみていると、1円の帳尻を合わせるため、1万円余計に使っているようにしかみえない。これこそが無駄だろう。

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2006年4月 3日 (月)

NGO職員の給与

 国際協力NGOの職員に知り合いがそこそこいるのだけれど、給与水準が低いという愚痴をよく聞く。
 アメリカだと、NGO職員でもそこそこもらっている話を具体的に聞くにつけ、彼我の差にため息が出たりする。
 NGOとボランティアの区別がつかない人はさすがに最近いなくなったとは思うけれど、NGO=ボランティア、というようなマインドセットは残っているように思う。こういったことも相当程度影響しているのではないかと思われる。また、スポンサーの資金が地方交付税交付金みたいに無色透明だったら少しくらい事態が改善するかもしれない。
 いずれにせよ、相応の給与水準でないと、優秀な人は集まらないだろう。また、NGOで相応の立場にいる人の給与水準がとっても低かったりすると、なんとなく気持ちがよろしくない。
 NGOの側から、「給与水準を引き上げよう」なんていう啓蒙キャンペーンは張りにくいだろう。であるなら、NGOの外にいる人たちが何らかのアクションを起こせないか、と思う。
 そこまで親切な人はそういないから、難しいのだろうけれど。

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2006年3月28日 (火)

ODAの人材育成?

 日本の企業は、長期雇用慣行の下で、企業内での仕事を通じた人材育成(OJT)を得意としている。この人材育成の手法が機能した結果、世界に冠たる国際競争力を構築してきた。
 今後、一層、世界が単一市場化していき、企業がさらに激しい競争、変化にさらされるようになると、知識の陳腐化が進みやすくなり、その結果、長期雇用慣行の妥当性が低下し、その慣行が崩れていくことが予想される。現に、長期雇用慣行は、企業と従業員の両方が原因で実質的に崩れつつあるように見える。
 長期雇用慣行が崩れると、従来のような企業内人材育成がうまく行かなくなるだろう。そうすると、今後の日本の国際競争力上の課題は、企業「外」での人材育成をいかに進めていくか、ということになろう。
 さて、ODAを担う国際協力専門家については、さまざまな理由から、長期雇用慣行が成立しにくく、組織を渡り歩くなかで経験を積み、国際協力専門家として能力を身につけていっている。このような形での人材育成を日本は得意としておらず、国際協力専門家を十分に育成していくことができているとはいえない。
 こうしてみると、ODAの人材育成は、今後の日本の課題にずっと昔に先取りしているといえそうである。

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2006年3月27日 (月)

ODAの国際競争力?

 近年、ODAが減額されてきているとはいうものの、日本がODA大国と呼ばれるようになって久しい。ただし、それは、ODAの総額の上でのことであって、「顔がみえない」「知的貢献が十分でない」といった批判が根強い。
 日本企業は、世界最高水準の製品や技術を開発し供給する能力を構築しているが、現状では、日本のODAの国際競争力は、日本企業の国際競争力に比べ、著しく弱いといってよいと思われる。
 ODAの実施にせよ、製品や技術の開発にせよ、それらを担うのは、人材である。つまり、ODA業界と企業の国際競争力の違いの主たる原因は、人材の質、ひいては、人材を育成するためのシステムにあるといってよい。
 つまり、ODAを担う人材育成(国際協力専門家の育成)が十分に行われてきていない、もしくは、そういった専門家の育成システムが出来上がっていないといえよう。日本のODAの充実を目指すのであれば、国際協力専門家の育成システムの構築が必要だろう。これに関連して、外務省・JICAなどに対し、「業者育成行政が十分でない」という批判がなされて来ていないのは、不思議といえば不思議である。
 国連に目を向けてみると、国連で活躍する日本人が少ないことは、国際協力専門家の育成システムが十分に機能していないことと大いに関係があろう。国際協力専門家の育成システムが十分に機能していれば、自然と国連で活躍する日本人が増えると考えられる。
 こういった面からも少し本腰を入れて取り組んでもいいのではなかろうか。

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2006年3月18日 (土)

夢?

 国際協力ワーカーの方々と、飲み会で夢について語ってもらったところ、恥ずかしがる人もいたけれど、原点となるような体験とセットで、夢をもっている人が多かった。
 夢について、順番に聞いていたとき、「I have a dream」と語り始めた人がいたので、ついでに、「尊敬する人物」についても質問したところ、どうも、「キング・ガンジー・テレサ」が3点セットとして存在するようだった(高校の倫理の教科書みたいだ、という感想もあった。)。国際協力の現場に尊敬する人物を見つけている人もいた。
 国際協力業界は、夢でもないとやっていけない、という気がする。
 一方で、企業や官庁は、夢をもって仕事をすることは難しい。
 なんとなく、二者択一という気がしていて、あまり幸福な状況とはいえないようである。
 なお、私の場合は、仕事と夢がある程度一致している時期もあったけれど、その際は、逃げ場のないプレッシャーというか、大きなストレスがあった。
 現在は、仕事と夢を分離して活動している。仕事のストレス解消に、「夢」系の活動が大いに貢献していると思う。

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2006年3月14日 (火)

保健師・看護師の国際協力

 保健師や看護師を目指す看護大学の学生には、国際協力分野で仕事を希望する人も、ある程度いる、という話を聞いた。
 しかし、学生のうちにそういう希望をもっていても、臨床実習でしごかれているうちに、そういう希望を失ってしまう人が大半だ、とも。
 話は少し変わるのだけれど、医師はバーンアウトしないが、看護師はバーンアウトする、という話を聞く。また、医師でも小児科はバーンアウトするケースもそこそこあるらしい、とも。
 私の推測に過ぎないけれど、バーンアウトの有無は、患者に接するとき、「専門家として人間のパーツを見ているか」と「人間として、人間そのものを見ているか」との違いによるのではないかと思う。
 看護大学の学生は、臨床実習でしごかれているうちに、小さなバーンアウトを起こしているのではなかろうか。こういう形で、夢を見失うのだとすれば、悲しいことだと思う。
 私は、バーンアウトしかねないような、仕事や人との関わり方をする人こそが、国際協力分野では必要だと思っている。夢を見失わずに育てるようなサポートがあってもいいと思う。
・・・
蛇足
 「カリスマ」と言われているようなカウンセラーがいて、私からみて、「よくひとりひとりに感情移入ができるなあ」と感心していたのだけれど、ふとした偶然で、その「カリスマ」が定期的にカウンセリングを受けていることを知り、深く納得したことがある。
 「カリスマ」として良いカウンセリングができるのは、決してマジックではなくて、「人として人を見る」という基本に忠実であるからこそであり、その副産物として、バーンアウトの危険にも晒されている、ということだろう。

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2006年2月27日 (月)

ODA改革?

ODA改革の決着がひとまずつきつつあるようである。といっても、JICAやJBICの組織に関する改革であるので、実質的にODAの改革になるかどうかは、まだわからない。
 日本のODAは、効率的・効果的でない、という批判をよく受ける。
 全体像を評価するのは難しいのでなんともいえないけれど、「確かにそうだ」と言えるような事例も多い。
 原則として、技術協力に関して言えば、外務省が監督し、JICAが発注し、コンサルタント会社が請け負う、といった形で仕事が進められることになるけれど、いつも疑問に思うのは、外務省もJICAもコンサルタント会社も、みーんな、まじめに深夜まで働いているのに、「効率的・効果的でない」というような批判を受けることである。
 ODAのシステムのどこかに問題があるわけだけれど、このような問題は、組織の改編では改善されないように思う。必要なのは、ODAの会計監査、予算執行、意思決定の手続きといった事務レベルの問題点を包括的に検討する、という作業だと思うのだけれど、それが十分にはなされてきていない。
 ODAについては、夢をもって仕事をしている人が多いからか、サブスタンス(内容)の専門家は多いけれど、ODAの事務をどうするべきかといったことの専門家が少なすぎる、もしくは、そういった分野への意識が低いといえそうである。なんとかならないか。

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2006年1月14日 (土)

地雷ネットワーク

 かなり前の話になるけれど、地雷禁止国際キャンペーンの日本での活動を脇から眺めていたことがある。
 そういった活動の結果、対人地雷禁止条約に日本も参加することになったのだけれど、目標達成に対する戦略がよかった。
 地雷禁止国際キャンペーンは、6つのNGOが集まってネットワークをつくり、多面的な活動を行いながら、世論を喚起していった。
 日本で、地雷禁止国際キャンペーンを張ると、「核兵器廃絶」「日米安保反対」なんていう運動が入り込み、混乱してしまうことが想像できる。実際、軍縮の活動家からの働きかけは、それなりにあったようである。また、「対人地雷だけでなく、対戦車地雷も禁止すべき」という議論もあったやに聞いている。
 しかし、このキャンペーンは、「人道目的」というコンセプトをはっきり打ち出し、対人地雷に絞って条約の策定、批准を求めるものであり、他の分野の軍縮の活動とは一線を画していた。
 「あれもこれも」と言っている間に活動が空中分解することなく、目標を達成できたのは、コンセプト・メイキングの素晴らしさと、それを守ったことにあるように思う。
 「人道目的」というのに対して、反対する人は少ない。一方、たとえば日米安保反対、といったことは、思想信条にも関わり、意見が分かれるし、結論もなかなか出ない。
 個人的には、「思想信条」にあまり関わりないところで、できるところからやっていく、というのが穏当に生きたい人の在り方だと思っているが、どうだろう?

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2006年1月 6日 (金)

国際協力組織

 政府関係金融機関の再編の話が出ている。と思ったら、JBIC解体論がでてきた。そうこうするうちに、JBICの国際協力部門の受け皿としてJICAに統合する、という話になった。かとおもったら、首相直轄でODA庁をつくるかも、なんていうことになっている。
 めまぐるしい。
 外務省をはじめとする利害関係者の綱引きが展開されるのだろうけれど、出来上がりの姿では、JBICとJICAの機能が統合されていればいい、と考えるODA関係者が多かろう。
 それはさておき、外務省もいよいよ定員減に直面する可能性が高くなっている。
 外務省の仕事量を見ていると、これは本当にまずいのではないか、と思う。これまで外務省は、厳しい定員管理の下で、増大する行政需要をこなすため、定員を少しずつ増やしつつ、専門調査員、派遣員などの制度を導入して対応してきた。しかし、現時点でも十分な人員が確保されているとはとても思えない。
 大幅な定員減に直面することになったら、たとえば、在外公館の国際協力担当官を廃止し、その定員を外交の本来分野割り当て、これまで在外公館で行っていた国際協力関係業務をJICAに委譲して、JICAが国際関係業務を一手に引き受ける、なんて方法で対応することになるかもしれない。

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2005年12月 8日 (木)

ODA批判?

 「ODA 援助の現実」を読んだ。
 これでもか、これでもか、とODA問題事例を並べている。これはこれで、一面を捉えているかな、と思いつつ、読み進めた。 
 しかし、88ページに、「ダムの耐震性と地震誘発性も無視できない」という記述をみたとき、ガックリきた。
 「ダムの地震誘発性」というのは、インターネットをみたらあたかも事実のように載っているけれど、立証不能な現象である。
 アメリカの大きなダムの近くで、断層が動いたらしく、ちいさーな地震が起きたのだけれど、ダムが嫌いな学者が、ダムの水の重さで断層が動き地震が起きた、と立証も反証も不能な説を主張したのが始まりだと聞いている。
 この説、アメリカで相手にされなかったのが、日本で生きている、ということだそうで、そういう話を、学者が、「無視できない」と、理論的裏づけがあるかのごとく書くのは問題だと思った。
 こういうことを書くと、本全体の内容の信頼性が著しく損なわれる。筆を抑えた方が説得力がある例の一つだろう。
 やれやれ。

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2005年11月23日 (水)

開発途上?

 友人がタンザニアで仕事をしている。現地の人たちは、とにかくのんびりしているそうで、イライラしたのか同僚の開発関係者がタンザニア人に対し、「だから発展しないんだ」という趣旨の説教に近い話をしていたそうである。
 多分、タンザニアには、「豊かになりたい」という強い願望も、「国の独立を死守する」というような差し迫った危機感・気概もなさそうである。必要もないのかもしれない。
 これは、日本とは明らかに違う。幕末には、「国をどうするか」「どうやって独立を守るか」ということについて、活発な議論がなされ、それが明治維新の力にもなったし、明治になってからは、「殖産興業」「富国強兵」のために邁進した。
 日本のような国は、やはり発展するんだろう。マルクスも遠くイギリス(ドイツから移住していた時期のはず)から、「日本は発展する」と予言していたし。
 最近売れ筋の「下流社会」という本の中に次のような記述がある。
 「『下流』には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが『下流』だ」
 のんびりしたアフリカの国々のことを想った。
 決心はつかないが、「下流でいいかも」などと「のんびり」に積極的意義を認める私のような人間には、国際協力・援助は向いていないと思われる。
 話は変わるけれど、1990年前後にパキスタン政府が作成したプロモーションビデオが印象に残っている。
 湾岸地域にパキスタン労働者が出稼ぎに行ってお金を稼いでくるのを勧めるビデオである。
 うろ覚えだけれど、おおむね次のような内容だった。
 出稼ぎから貧しい村に帰ってきた男が登場する。大きな荷物を抱えている。
 村の人  「どこへ行ってきた?」
 男     「中東に行ってきた!」
 村の人  「何をしてきた?」
 男     「石油を掘ってお金を稼いできた!」
 村の人  「何を買ってきた?」
 男     「××、○○、△△、そしてテレビを買ってきた!」
 全員    「テーレビ、テレビ!テーレビ、テレビ!」(と踊る)。
 なかなかのできばえだった。石油にに関する大真面目な番組での紹介だったが、死ぬほど笑った。
 パキスタンは、「強兵」だし(多くの場合近代軍隊が工業化の力になる)、これだけの物欲がある。発展していくかもしれない。

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2005年8月30日 (火)

国際協力は必要か、について

 応用倫理学では、義務論と功利主義(目的論)の二つを基本ツールとしている。
 私なりに、二つのツールを国際協力の必要性の議論に当てはめてみる。
 「困った人を助けるべきである。」ということに反対する人はいないであろう。「人間としての連帯の必要性」「神の教え」とかいろいろ説明のバリエーションはあるかもしれないけれど、何らかの行動を起こすための中心的な価値観のひとつといえる。
 この考え方は、応用倫理学上は、義務論と言われ、動機を重視するので、倫理・道徳における非帰結主義とも呼ばれる。「国際協力をどんどんやるべき」という考えは、おおむね、義務論の立場から発している場合が多いと思われる。
 この考え方は、「じゃあお前はすべての困った人を助けるのか?」「近所の独居老人の孤独死よりも難民を救援すべきなのか?」といった批判に対して脆い場合が多い。
 一方、功利主義のスローガンは「最大多数の最大幸福」であり、結果を重視するので倫理・道徳における帰結主義と呼ばれる。
 ODAについても、「最大多数の最大幸福」を実現するために実施されるものである、という立場になる。
 国際協力、特にODAに懐疑的な見方は、この立場から発している場合が多い(もちろん、賛成している場合も多い。)。
 懐疑的な見方のバリエーションとしては、①ODAが現地の人のためになっていない、②ODAが日本のためになっていない、というのが代表的なものだろう。
 ①は、外務省を始めとする国際協力業界の自業自得なのでなんともいわない。
 ②を主張する人は、「国益重視」という立場をとっていると思うけれども、その場合の「国益」は、最狭義の「国益」であり、「世界の平和が日本にどれほど必要か」を十分に認識していれば、出てきにくい主張といえるだろう。
 ①及び②の立場は、あくまで、日本から功利主義的にODAを見た場合の立場ということだけれど、途上国の立場からみたら、功利主義は、「最大多数の最大幸福」であるので、極端な場合、先進国からの富の収奪を正当化しかねない。
 以上、極めてラフなスケッチだけれど、国際協力の議論においても、応用倫理学からの議論というのがあってもいいのかもしれない。

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2005年8月29日 (月)

危機意識

 その昔、中東戦争が起きた。それに伴い、産油国による禁輸により、石油危機が起きた。
 まさにパニックだった。トイレットペーパの買占め、なんていうことも行われた。インフレも起きた。
 その後、石油不足への一時的な対処のため石油備蓄基地を作るなどしたが、依然、石油の中東依存度は8割を大きく超えている。「ホメイニの擁護者」(!)フーコーのいた、親アラブのフランスでさえ、中東依存度が4割台前半であることからすると極めて高い。
 日本は、ただでさえ石油を不安定な地域に頼り切っていることに加え、その石油は伸びきったシーレーンを通って運ばれる。そのシーレーンは、ホルムズ海峡をはじめとしたチョークポイントに事欠かない。
 このように日本は、危機がいつ襲ってもおかしくないような状況の下にあるけれど、資源エネルギー庁はそのことを国民に理解してもらうことに積極的ではないようである。石油危機の苦い経験があるからだろう。いたずらに危機感を煽り、何かの拍子にパニックが起きたらかなわない、と恐れる気持ちはよくわかる。しかし、それなら、少々コストがかかっても中東依存度を下げるべきでは、と思ったりもする。現実にはいろいろ難しいのだろうけれど。
 さて、いまそこにある危なっかしさを国民に十分に伝えていないため、「日本ほど世界の平和が必要な国はない」という事実ををリアルに認識することない人を増やすことにつながっているように思う。その結果、世界の平和への貢献に関する意識が高まらず、ODAへの無理解を招いているような気がするがどうだろう?

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2005年7月27日 (水)

ヒアリングと面接

 ここ半年くらい、キャリア開発に関する勉強会を、ヒアリング形式で実施しています。
 ヒアリングでは、たくさんの質問を積み重ねていくのですが、いちおう工夫をしています。
 最初は、いわゆるクローズド・クエスチョン(Yes/Noで答えてもらう質問)でアウトラインを作っていく。
 その後、いわゆるオープン・クエスチョン(5W1Hの質問)である程度自由に話してもらう。
 最後は、踏み込んだ質問(人生において何に価値をおいているか?自分のキャリアを振り返ってみてどうか?といったような質問)をする。
 単純化すると、多分人の心の中には、
①既に整理されている情報、簡単に整理することができる情報
②整理されていない情報、整理することが難しい情報
があると考えられます。
 ①は、相当ユニークな経験をしてきている人の場合でなければ、既に流通している情報である場合が多いといえるでしょう。情報として貴重なのは、②であって、これをいかに引き出すか、ということがヒアリングの意義だと思われますので、それがスムーズに出るよう腐心しているわけです。
 さて、採用などの際に行われる面接では、ヒアリングみたいに親切にやったりしません。軽い質疑応答が行われた後、いきなり、踏み込んだ質問を開始する、という方法が使われることが多いといえるでしょう。したがって、面接でヘマをしないためには、たまに踏み込んだ内容についての議論(本質的な議論と言い換えることができるかもしれません。)をしておくことが重要かと思われます。

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2005年7月18日 (月)

若く見られる?

 途上国に勤務する友人たち(特に女性)が、「若く見られたー」と(嬉しそうに)話すのをよく聞きます(おおむね無視することにしています。)。
 それはさておき、「若く見られる」というケースには、2つのパターンがあるようです。
 欧米人に「若く見られたー」という場合は、「小さく可愛いいので、年下に見られた。少なくとも年寄りに見られなかった。」ということを含意します。
 一方で、少数ですが、途上国の人に「若く見られたー」という場合は、少し事情が違うようです。人・場所にもよりますが、途上国の女性たちは、貧困、病気などが原因で、30歳になる頃には、肌が荒れ放題なのが当たり前なのに対して、「肌を磨き込んでいる」日本人女性は、30歳前後であっても、肌はスベスベで、若く見られる、ということらしい。
 話は変わりますが、昭和40年代後半に流行った漫画に、「ど根性ガエル」というのがありました。主人公のひろしは、貧しい母子家庭に育った江戸っ子で、マドンナ役の京子ちゃんは、裕福な家庭に育ったお嬢様です。あるとき、ひろしは、自分と京子ちゃんのお母さんが同じ年齢であることに大きなショックを受けます。それをみて、当時小学生だった私は、「貧しくて苦労をしていると、早くおばあちゃんになっちゃうのかな」などと考えていました。
 今にして思えば、昭和40年代というのは、日本でも貧困がリアリティを持っていたので、途上国でみられるような「老け」があったのかもしれないなあ、などと考えたりします。

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2005年4月30日 (土)

浜田省吾?

 「夕食のテレビニュース。俺によく似た少年兵。ライフルを肩に砂漠を汗まみれ歩いてく。守るべきもの何?戦う相手は誰?誰に聞いても答えられない。」なんていう、浜田省吾の、なつかしーい、多感な高校生を歌った曲が流れているのが聞こえてきた。
 この歌詞、誇張はあるとは感じつつ、どこの紛争だろうか?などと考えた。
 調べてみると、1981年9月のアルバムに載っていた。
 時期からすると、1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻に対するゲリラ活動と見るのが妥当だろう。アフガニスタンは、そのころから不安定な状況が続いているとすると、大変恐ろしいことである。
 この曲を高校時代に聞いた世代なのだけれど、特に感慨がなかった。広島の片田舎の高校生に、途上国の紛争というは、遠すぎる物語だったのだろう。
 高校生だとか早い段階から、こういった紛争などに強い興味を持つ人もいる。立派だな、と素直に思う。

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2005年3月 1日 (火)

マレイシア

 2月28日、マレイシアの公務員19名に対して、国家公務員の人材育成について講義を行った。
 JICAの招聘で公務員の人達が来日したときによくこういう講義を依頼される。とりあえず、英語の練習だと思って引き受けている(ペルシャ語とかインドネシア語などで研修が実施される場合のように通訳がある場合には引き受けない。)。
 マレイシアの公務員が、日本の国家公務員制度について理解するのは意義があることだと思うけれど、具体的にどのように生かしていくことができるのだろう、といつも考えてしまう。
 日本の国家公務員制度は、アメリカ的な職階制を前提とした国家公務員法の下、職階制ならぬ人事運用をしているため、建前(法律)と本音(運用)は大きく違っており、ここは真似をしない方がいいと思う。
 たとえば国家公務員法にも定められている「能力の実証に基づいた任用」という観点からみると、年功序列という人事運用は、大いに疑問がある。一方で、選抜されなかった者がモチベーションを下げてしまうといったことを防止し、長期間に渡る競争を行うことによりモチベーションを維持するのに有効なシステムと言われているし、後輩に抜かれる心配がないので、技術の伝達などOJTも効率的に行われやすいという主張もある。
 また、職階制は詳細な職務記述書を前提としているけれど、日本の行政組織にはそれがなく、個人のパフォーマンスを客観的に評価することは難しく、「能力の実証」を十分に行って人事管理を行っているか大変怪しい。一方で、大部屋主義と相俟って柔軟な職務の割当が可能になっているが、一般に採用されると長期間働くので、結局時間をかけて評価がなされ、本格的な選抜が行われる段階(20年以上勤務後か?)における納得性は十分に高かったりする。
 このような人事運用が良いのか悪いのかはともかくとして、日本人に向かっても説明しにくい。
 時間をかけて、法律など制度に関する堅い説明を行い、若干の私見を交えつつ運用に関する説明をしていると、日本人ならぬ人達でも「日本ではこうなのね」とそれなりに納得するようだ。きっと、日本は、欧米のシステムを導入したけれど、日本の文化などを考慮しながら、適したシステムをよーく考えて構築してきていると受けとめているのだと思う。日本のようにそれなりに機能してきているシステムは、いろんな知恵が詰まっているのだから、例えばマレイシアにとって取り入れられるアイデアがいくつかあればいいかな、というのがとりあえずの結論というところでしょうか。

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2003年1月31日 (金)

業界団体・・・

NYの寿司屋で板前さんがこんなことを話してくれました。
 中華料理店や韓国料理店の安いが不味い寿司を日本の寿司だと勘違いされることは困る。衛生管理が行き届いていない店が食中毒を起こしたりするから、うちらがとばっちりを受ける。ニューヨークの衛生基準は、寿司をつくることを想定しておらず、「手袋をしてすしを作れ」といわれる。検査のとき、手袋をするけれど、包丁に引っかかるので丁寧に作れない。鮮魚の仕入れの方法といった情報交換などは、重要だけど、各店が自分で仕入れルートなどを開拓しないといけない。

 私は、業界団体を作ればどう?と提案しました。ホームページを作って、一定の基準を満たした寿司店の紹介をしたり、英語での発信能力を高めれば、日本人以外の顧客の掘り起こしにもなり、WIN/WINゲームにもなるし。また、ニューヨークの保健局に寿司店のための衛生の新基準を提案して、寿司に関しては、素手で料理してもいいようルールを改正してもらうとか。
 これに対し、板前さんから、力強く「やってくださいよ!」と言われてしまいました。

 いつも思うのですが、国際協力の分野を広くカバーする業界団体を作ったらいいのではないでしょうか。その業界団体が外務省やJICAと日本のODAの政策全体について協議ができるくらいだったらなおいいと思います。
 国際協力分野の業界団体が、国際協力分野の長期的人材育成政策に関する提言をまとめるなんていう、いかにも玄人がしそうなことをしてくれることを想像すると、個人的には大変愉快です。

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