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2008年11月30日 (日)

ワールドクラスのサッカー

 ジェフの戸田和幸選手(ディフェンダーもしくはミッドフィールダー)が、サッカーの世界一を決める代表の一次候補に選ばれている。
 ただし、「最悪の髪型」の候補、ということだけれど(↓)。確かにあの髪型は強烈だった。

http://edition.cnn.com/2008/SPORT/football/11/28/worst.haircuts/index.html?iref=intlOnlyonCNN

 戸田選手の場合、あんな髪型しなくても、十分に注目されると思う。だから「えー!」という気はあまりしなかった。ただ、他の選手たちが、実力もしっかりワールドクラスばかりだから、ちょっと考えたけれども。

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2008年11月29日 (土)

非常識って・・・

 常識は多数派により形成される。それが正しいことは、誰も保障できない。

 世の中には、多数派に共有されない事実が多い。

 健康食品を売り続ける人たちは、世間を基準にしたら、常識的なビジネスかもしれない。しかし、栄養学からみたら、非常識である。

 リサイクルは、世間を基準にしたら、常識かもしれない。しかし、リサイクルが資源のムダ、というのは、専門家において共有された事実である。リサイクルによるエネルギーを考えると、リサイクルよりも燃料に使った方がよいと専門家は考えている。

 専門家の沈黙を強要することが「常識」の主な機能になっていないか。

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2008年11月28日 (金)

行政官の飲み会・・・

 行政官同士での飲み会というのは、注目されている現場が見えて、興味深い。出た話を2つだけ。

 論文問題で辞職した航空幕僚長は、マスコミ受けも結構よかったとのことである。イラクの活動の一部に対して、「違憲」と高裁が判決を出したとき、「そんなの関係ねぇ」といった人でもある。
 その判決は、違憲を理由に差止めを訴えた原告敗訴、しかし違憲判断、というのものであった。違憲判断をするなら、原告が勝訴すべきである。勝訴により被告たる国が上訴できない状態をつくりだし、違憲判断をすることが妥当かどうか、という論点がある。裁判所としてまずいのではないか(当然、原告側は上訴しない。)。

 「ゆとり」教育は、知識詰め込みではなく、知識などを使いこなす力をつける、という趣旨だった(らしい。)。そうだとすれば、「ゆとり」教育というのとは違うのではないか。名前が間違っている。その結果、単に知識を否定することになり、「ゆるみ」教育になってしまったと考えられる。小学校における、ゆとり教育とそうでない教育の違いは、宿題が出ないのと出るの違いくらい、というのが実感である。

 このほかにも、やれやれ、という話が多い。こうしたところをなんとかしてほしい。

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2008年11月27日 (木)

オヤジのマナー・・・

 公営テニスコートでのおじさんたちのマナーの悪さ、傍若無人さに対して、「かかわりあいになるのはやめよう」とこのところ考えてしまう場面が多い。

 先日、日曜日は、気持ちよくテニスをしていたところ、いきなり、テニスコートの脇で、少年野球チームが「ファイト!」とか大声を出しながらトレーニングを開始した。
 テニスって、相手がボールを打つときの音を聞くのが重要である。たとえば、スイートスポットをはずしたときなど、ボールに勢いがなくなりネット際に落ちて拾えない、なんてことがあり、いつもの音かどうか、聞き分けるのは必要である。主な理由は集中するためだけれど、こうした音の問題もあり、テニスをやっているときは、観客は静かにするのが一般的である。
 ちなみに、セレスという選手は、打つ瞬間に尋常じゃない大声を出すため、試合相手がボールを予測しにくい、ということで、注意や抗議をする人たちがいたが、「そんなの知るか」という態度を貫き、総スカンを食っていた。セレスは不幸なことにテニスコートで暴漢に刺されたのだけれど、マナーに違反しているにもかかわrず、「そんなの知るか」と開き直っていたのに対し、選手、ファンなど怒りを買っていたのが背景にあるように思えてならない。

 それはさておき、野球は、連携プレーのために声を出す必要のあるので、「ま、仕方がない」と考えていたのだけれど・・・
 よく考えたら、時間は、まだ7時。早朝の散歩を楽しんでいる人たちが歩く道を占拠していたりする。しかも、コーチはタバコを吸いながら指導をしている。さらにそのタバコをポイ捨てしていたりする。
 少年野球チームの指導者としてまずいのではないか。

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2008年11月26日 (水)

ひさびさの年休・・・

 11月21日(金)、人間ドックもあったので、一日年次休暇にしてしまった。

 朝とっても早く都心の人間ドックに行ったら、そこで、ずーーーーと昔(15年前くらい)に一緒に仕事をしていた人に偶然会った。少々びっくりした。

 人間ドックが早めに終了したこともあって、Tさんと韓国街でご飯を食べた。Tさんの仕事の様子とか、最近の公務員制度改革の成り行きとか、ビジネスランチである。

 その後、本を買いに行った。そろそろ手帳を買おうと手帳コーナーをチェックした。いつもの手帳をかれこれ4年使っていて「今年は変えるぞ」と決めていたのだけれど、結局、今年と同じ手帳を買ってしまった。
 その後、文庫本コーナーに行き、ついつい文庫本だけで7000円分も買ってしまった。かばんには、PCも入っているのですごく重い。

 喫茶店でお茶を飲んだ後、コンゴ民主共和国で活躍中のAさんがキーノートスピーチをすることになっているので、久々に市ヶ谷までシンポジウムなるものに行ってきた。
 ニューヨークでよく一緒にテニスをしていた一時帰国中のSさんを誘っておいたら、来ていた。Sさんとも久しぶりである。博士3年目だけれど、平均取得必要年数が9年だそうで、大変らしい。。。
 ついでに、ニューヨークで同じアパートに住んでいた知り合いに久々にあった。3人の子育てがとっても大変だ、と言っていたけれど、元気そうだった。そういや、彼女の旦那とも2年くらい会ってない。
 シンポジウムの前、スピーカーのAさんが「ひさしぶりー」と駆け寄ってきた。挨拶とちょっとくだらない噂話をしていたら、担当の方が、「そろそろお時間ですので・・・」。

 シンポジウムでのAさんは、なかなか堂々としていて、好感が持てた。と思ったら、11月22日の新聞に、その友達の写真入り記事が出ていた。これで、この新聞、多分彼女を取り上げるのが2回目である。前回はカジュアルな雰囲気で頬杖を着いていたけれど、今回は、キャリアウーマン風である。

 夜は、大学院のゼミがあった。コンサルティング案件を見せて、1時間以内にアイデアをまとめ発表する、というトレーニングだった。私自身は、コンサルティングには興味ないし、その分野も自分の専門分野でなかったのだけれど、こういうトレーニングに参加するのは面白い。

 6時半に家を出て、歩き回って、家に着いたのは11時半。
 平日よりもずっと疲れた。。。

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2008年11月25日 (火)

次官の殺人事件の論評

 次官の殺人事件に関連し、犯罪心理学者がテレビ局の取材に答えていた。
 概ね「自分が望むような社会的な立場と実際の立場の差に不満が生じ、凶行に至ったのでははいか」という主旨だった。
 これって、何の説明にもなっていないし、こんな一般的なものが理由だったら、この社会の半分くらいの人が事件を起こすことになってしまう。

 犯罪心理学者による分析が、全く見当違いだった結果、批判を浴びる、ということがよく起きるから、こういう答え方になってしまうのかもしれない。

 犯罪心理学自体は、つぶさに犯罪を起こした人の心理について検討を加えるために必要な学問だと思う。しかし、マスメディアに流れる情報程度で犯罪者の心理を理解するというのは無理である。見当違いの論評が目立つことがそれを証明している。

 犯人の動機などが明確でなく十分な情報がない段階で専門家としての知見を示すことが難しいのであれば、うれしそうにテレビの取材に応じないのが、せめてもの専門家としての良心ではないかと思われる。

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2008年11月24日 (月)

聖地の予感・・・

 日曜日の昼、高校生の息子がお気に入りのラーメン屋に付き合った。このラーメン屋、たびたびテレビでも取り上げられていて、そこそこ有名である。

 それはいい。
 道すがら、多摩中央公園という多摩センターの南の丘の上にある公園を散歩した。
 休日には、広々とした芝生がり、フリスビーをしたりキャッチボールをしたりする家族連れなどがたくさんいる。

 その公園に、アニメ・漫画キャラのコスプレを楽しんでいる人たちがたくさんいた。
 11月になるのに、ビキニとしか思えない格好をしている人がいたり、ゴージャスなお姫様がいたり、ナチスの制服のような格好をしている人がいたり・・・数えたわけではないが、100人は優に超えるくらいの派手な格好の人たちがいた。
 秋葉原の規制が厳しくなったから、なのかもしれないけれど、パルテノン多摩といって、パルテノン宮殿を模したようなモニュメントがあり、泉があり、ついでに、サンリオ・ピューロランドがあるので、バット×○君とかキティちゃんが歩いていても誰も驚かない・・・という場所なので、コスプレの人たちが集まるにはいいのかも。

 ちょっと安心したのは、青い尖がった髪がカツラだったのを発見したことである。自分の髪をあんな色に染めていたら痛んじゃうんじゃないか、と心配していたのだけれども。

 意表をついて、多摩センターが、「コスプレの聖地」に・・・・なるわけないか。

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2008年11月23日 (日)

残業・・・企業の対応

 コンプライアンスが厳しく求められるようになっている。
 そこへ、労基署が、サービス残業への指導を強めた。
 その結果、大手の企業では、サービス残業が一掃された。
 単純な顛末である。

 しかし、コトはそう単純ではない。
 サービス残業が存在する、ということは、残業を申告しないことが望ましいこと、とされていたのは明らかで、このことはつまり、評価項目には入らないにせよ、隠微な形でカウントされていた、とするのが自然である。
 サービス残業がなくなったことで、今度は、「残業する奴は有能でない」という方向に評価基準が傾く。

 「サービス残業OK、むしろ歓迎」という状態から、「残業する奴は有能でない、と判断される」という状態への変化は、方向が、ほぼ逆である。
 対応に苦慮している人が多いだろうな、と想像する。

 一方、公務員は、労基署の指導が及ばないので、企業のような激変にはさらされていない。。。

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2008年11月22日 (土)

社会の変化と倫理の変化と能力の変化

 社会の変化につれて倫理は変化するのは当たり前といえばそうである。
 ついでに、倫理が変化すると必要とされる能力も変化するだろう。最近、私よりも年長の方々とお話していて強く感じた。

 社会の目が厳しくなったこともあり、国家公務員倫理法制定され、利害関係者との飲み会でのコミュニケーションにやりにくくなった。私よりも年長の方々は、「こんなんじゃ、役所に情報が入らなくなる」と嘆く。それはそのとおりだと思う。ただ、こうした法制度が求めるのは、飲み会でのコミュニケーションに依存するのではなくて、昼間の公的な場所でのコミュニケーション能力を高めなさい、ということだろう。

 Eメールが導入された当初、こんなもの使えない、という年長の方々からの声が聞こえた。しかし、現在は、効率的に仕事はしていかなくてはならないから、Eメールで意思決定も済ませる必要が生じてきている。Eメールで済ませるのは、失礼だ!なんてことは、マジョリティではなくなった。私よりも年長の方々は、Eメールでは込み入った話はできない、と嘆いていたりする。しかし、現在は、Eメールでも込み入った話をまとめる能力が求められると考えた方が良いのではないか。

 せめて、自分は、若い人の邪魔をしないようにしよう、と思う。

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2008年11月21日 (金)

大麻と倫理観・・・

 大学生が大麻に関係で逮捕されたり有罪判決を受ける、というようなことが報道されている。
 「大麻よりタバコの方が有害」なんて話もあるくらい(WHOは明確にそう判断)だし、軽犯罪として扱う国もあるから、「日本の規制がおかしい。」「これくらいならいい」という認識があったのではないかと推測する。

 私の心の中を覗いてみると、多分、「大麻を使用している」という話を聞かされたら、「絶対やめろ」とは言うものの、その人の人格を否定するところまではいかないだろう。一方で、ある人が、100円を人の財布から気がつかれないように盗む、ということを知ったら、その人の人格を否定するところまでいくような気がする。
 大麻の使用と100円を盗むという行為を比較すると、裁判所の基準では、前者が遥かに厳しく罰せられるが、友人関係については、後者の方がダメージが大きいわけである(私の基準です。)。

 要するに、大麻と軽微な窃盗についてみれば、裁判所の基準と私の倫理基準とか平行していない、ということになる。
 こういう矛盾は放置すべきなのか、自分の内面に反映させていくべきものなのか、よくわからない・・・。

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2008年11月20日 (木)

小論文対策・・・

 1年3ヶ月後の、子どもの大学受験に備えて、のんびりと勉強をみている。
 そのなかの一つの取り組みが、小論文対策である。

 文章って、じっくり指導されることが少ないし、癖もある。若手公務員が書いた文章を読む機会があったのだけれど、同じ試験に合格した人たちなのだろうか、と思うくらい、文章力に違いがあったりする。やはり、高校生のうちにじっくりと文章修行をさせるのがいいと思われる。

 書かせてみて、いつの間にか、そこそこの文章を書くことに少し驚いた。ただ、まだまだ論理のたどり方が甘いし、言葉の使い方も下手だし、明晰さにかけるところも多い。

 とても指導のし甲斐がある。

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2008年11月19日 (水)

ジャパニーズ・ドリーム

 アメリカン・ドリームは、単純化すると、大成功や一攫千金の夢だろう。
 一方で、ジャパニーズ・ドリームは、日本に住む人みんなが、貧困に喘ぐことなく幸せに生活できる社会をつくることだとなんとなく考えている。

 日本企業の社長は、どんなに責任が重くても、新入社員の千倍とか1万倍といった報酬を得よう、得るべきだ、と考える人は少ないだろう。日本人の社長は、新入社員の10倍の給与でもしっかり働く。アメリカのように、成功したのだから千倍必要だ、なんてことは言わない。もちろん、報酬が千倍ないと「働く気がしない」なんてことは言わない。
 また、基本的には、日本人には、貧困に喘ぐひとたちを放っておけない気持ちがあるといっていいだろう。誤解を恐れずに言うと、ここがアメリカ人とは決定的に違うところだと思う。

 アメリカでは、無年金者、無保険者が人口の2割を超えたとしても、大統領は平気である。刑務所に他の先進国の10倍の人たちが収容されていても平気である。貧困は自己責任だと考え、所得分配の問題とは考えないので、貧困への共感も小さい。
 アメリカにくらべ日本は慈善の寄付が少ないじゃないか、という人がいるかもしれない。しかし、アメリカの所得再分配の細さに比べても、慈善の寄付は、その何十分の1といった程度のオーダーだろう。社会の仕組みへの支持を辛うじて支える程度といっていいかもしれない(なお、対外的にも同じような構図が見られる。)。

 アメリカ人はどうだかわからないけれど、少なくとも日本人は、「お金ではなく、広い意味での仕事の面白さをモチベーションにして働いている」「同じ社会に生きる人の痛みを自分の痛みとする」人たちだ、ということを見直した方がいいと思われる。
 そうした基本的な事実を基礎に社会を組み立てるのが日本人のテイストに合っているのではなかろうか。多分、それがジャパニーズ・ドリームなのでは、と考えたりする。

 国際協力の世界に引き寄せて考えると、開発途上国は、一部の政治家が大金持ちで国民が貧困に喘いでいるけれど、アメリカ企業で、社長が新入社員の千倍の給与、というのと構図がそっくりである。そう考えると、経済開発で、トリックルダウンなんて苦し紛れの理屈はやめて、ジャパニーズ・ドリームで行った方が良さそうである。
 そう、国際協力の世界で、ジャパニーズ・ドリームを、もう少し普遍化して、開発途上国で共有してもらった方がいいのではなかろうか。アメリカにとっては、自国の社会構造のあからさまな否定になってしまうので難しいから、そこはやはり日本が・・・。

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2008年11月18日 (火)

高齢化社会の不安・・・

 高齢化社会についてのある研究会に参加させていただいている。そこで、いろいろ考えさせられる。

 参加者の1人で雑誌の発行人をされている方によると、だいたいのところ、夫婦は、妻の方からみると、齢を重ねるにしたがって、恋愛→友情→嫌悪という流れになっているらしい。現在、団塊の世代の退職ラッシュだけれど、世のオヤジさんたちは、会社にも家にも居場所がなくなることになる。放っておいたら、大規模な「悲惨」が生じるのではないか、と簡単に想像がつく。

 また、大手金融機関のNo.2だった方によると、現役時代にどんなに優秀な人でも、半年仕事を辞めていたら、同じ話ばかりをするようになり、面白くない人間になってしまうので気をつけよう、とのことである。

 そう考えると、やはり仕事をしてもらうしかない、ということに落ち着く。だいたい、70歳くらいまで元気な人は多い。
 そういえば、研究会の参加者で国際金融機関の局長は、「Life long contribution」をキーワードにしたい、とおっしゃっていた。自分自身、それくらいのつもりでいよう・・・。 

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2008年11月17日 (月)

奥田トヨタ会長の発言

 ”トヨタ奥田氏「厚労省たたきは異常。マスコミに報復も」”という記事が2008年11月12日21時7分の朝日コムに出ていた。
 奥田会長は、「正直言って、ああいう番組のテレビに出さないですよ。特に大企業は。皆さんテレビを見て分かる通り、ああいう番組に出てくるスポンサーは大きな会社じゃない。いわゆる地方の中小。流れとしてはそういうのがある」と発言し、さらに、「現実にそれは起こっている」とも。

 要するに、「異常な」厚労省たたきをしているテレビ番組にはコマーシャルを出したくない、現実に大手企業は出さないようにしてきている、という話である。

 品性が疑われるような番組が多いけれど、そういう番組にコマーシャルを流すと、好感度がかえって失われるのかも、というのは、多分、普通の経営者なら考えるだろう。

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2008年11月16日 (日)

子ども孝行

 子どもの中学受験のとき、「中学受験は、最後の子ども孝行だから」と言われた。そんなもんかな、と思い、算数の解き方のパターンを類型化し教えたり、文章の読み方を指南したり、と奮闘した。
 そう思っていたら、どうも大学受験も子ども孝行が必要らしい。とりあえず、勉強の進行管理やコツの伝授を行ったり、といったことをしている。少しずつ指導が本格化しつつあり、仕事もある中、体力的にもつのか、少し心配だったりする。 

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2008年11月15日 (土)

国会待機の影響・・・

 ある企業の人とお話していて、少し驚いたことがある。
 中央省庁の重要な仕事として、翌日の国会への答弁の準備のため、議員から予め質問を入手し、答弁作成する、というものがある。なかなか質問を確定できないと、深夜、場合によっては朝まで、作業に追われることになる。

 私の知る範囲では、役所が深夜労働をすれば済む話だとなんとなく考えていたのだけれど、業界を抱える省は違うとのことだった。つまり、省からの依頼で、企業の担当部署も国会待機をしていることがよくある、とのことである。

 いいのかなー、などと考えたりする。

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2008年11月14日 (金)

アサヒビール/ハーバード

 興味深い話を聞いた。
 かつてアサヒビールが10%程度のシェアに苦しんでいた頃(バブルのしばらく前)、日本のビール業界がハーバードなどのMBAで、事例として取り上げられていたそうである。
 その事例というのは、4社程度の寡占状態で、そのひとつが6割程度のシェアを持っていたら、あとの3社は絶対に逆転できない、ということだそうである。

 アサヒビールの経営陣は、「絶対」なんてことはないだろう、と信じ、大変な努力の末、キリンビールが大きな失敗をしたわけでもないのに、結局、トップに躍り出た。なかなかドラマチックな話である。

 また、アサヒビールは、CI(コーポレート・アイデンティティ)を打ち出した企業として有名だけれど、アサヒビールの元経営陣によると、CIというのは、「社長のリーダーシップのなさを補うもの」だそうである。なるほど。そりゃそうだ。

 政治や行政の世界に当てはめるのは難しいけれど、少し考えてみると面白いかもしれない。

 

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2008年11月13日 (木)

刑務所の収容人数の比較

 日本で刑務所に収監されている人は、人口10万人に対し、40人以下である。一方、アメリカは、400人以上となっている。
 他の先進国と比較しても、アメリカの収監者は突出して多い。

 アメリカについては、格差などの社会の矛盾を放置して、犯罪が増え、それを摘発し、収監者が増える、という成り行きの結果だと思われる。
 犯罪の背景や原因となる問題を放置して対症療法的な対応を行っているといえるかもしれない。
 いいのか?

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2008年11月12日 (水)

行政官は偉かった・・・

 昔々、行政官はとっても偉かった。
 戦前は、中央省庁の課長の給与は、国会議員よりも高かったらしい。
 ほんの20年前くらいまで、大蔵省の主計局長は、平の議員には会わない、と言われていた。橋本元首相も、平の議員だった頃、大蔵省の官房長に呼ばれて指導を受けたことがあり、「期待されている」と喜んだそうである。

 これって、なんだかおかしいのだけれど、現在、状況は全く違ってきている。
 この点については、正常化した、といえるかもしれない。

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2008年11月11日 (火)

知識:謙虚と傲慢

 知識のある者は謙虚になり、知識のない者は傲慢になる、とある先生が言っていた。
 「そうだよな」と思う。自戒を込めて、だけれども。

 いわゆる「情報」に、データ/情報/理解/知識/知恵くらいの段階があるとすれば、「知識のあるものは・・・」の「知識」(knowledge)は、「知恵」(wisdom)と置き換えていいかもしれない。

 

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2008年11月10日 (月)

うれしくないテニス談義

 先週、日曜日の早朝6時から8時まで、妻とテニスをしていた。
 妻は、女性には珍しく、片手打ちのバックハンドで、しっかりトップスピンをかけることができ、普通にラリーをしてもあまりミスをせずに行うことができる。まあ、「トップスピン・バックハンドが確実にできる」という状態である。

 練習モード(体育会系モード?)でプレーしているのだけれど、8時から予約しているおじさんたちが早めに来ていてわれわれのプレーを見ながら、談笑していた。
 大きな声で話していたので、内容がよく聞こえた。エドバーグだの、サーブ&ボレーだの話しているなかで、「女性は力がないから、両手打ちのバックハンドがいいんだよ。」とえらそーに言っているのが聞こえた。

 いつものことである。品がないし、物理の力学についての理解や、目の前で起きていることを認める態度もないな、と思う。
 トップスピンに力はいらない、ラケットをそれなりのスピードで振れれば十分である。トッププロみたいに限界まで力を出して打つのなら話が別だけれども。

 テニスを終えてそのおじさんたちがテニスを始めているのを眺めながら帰り道についていると、両手打ちで当てるだけのバックハンドを、無残なフォームで打っていた。テニスに神様がいたら、天罰が下りそうなくらいである。
 「えらそーに言う姿」と「フォームの無残さ」のコントラストがとても面白かった。
 テニスを「ちゃんと」やろう、という気持ちはなく、単にボールを打っているだけ、でやってきているんだろう。

 公営コートでは、そういうおじさんの数と、ちゃんとテニスをしようとする人の数は、前者が圧倒的に多い。圧倒的に多いので、グループを形成して、まとめてテニスコートを抑える、ということをしている。
 上手な人たちは、「テニスをちゃんとやろうとする気持ちなく、無残なフォームで、どこに飛んでいくかわからず、単にボールを打っているだけ」という人たちとは、一緒にテニスをやるわけがない。単なるストレス解消につき合わされたらかなわない。
 結果、公営コートでは、「きっちりテニスをしようとする人」たちが締め出されるということになる。大衆社会の政治力学がここでもみられる。

 たまにしっかりしている人たちが隣のコートでやっているのを見かけることがあるけれど、マナーもいいし、うれしくないテニス談義ももちろんない。多分、テニスというスポーツの難しさを通じて鍛えられた経験が、そうしたマナーなどを身につけさせているだろうと思う。
 もっというと、公営コートで見かける若者はテニスをうまくなろうとしている人が多く、明らかにおじさんたちよりもマナーがいい。公営コートでは、「近頃の若者は・・・」でなく、「近頃のおじさんは・・・」の方が妥当する。社会においてもそうなりつつあるのではないか。

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2008年11月 9日 (日)

日本の森林・・・

 日本の森林率は、68.2%であり、世界的にみても最も高い部類に属する。しかも先進国だったりする。
 で、昭和20年代には、戦時中からの乱伐のため、森林の蓄積が大幅に減ったが、その後植林が進み、現在では、昭和20年代の2倍以上の約40億立方メートルになっているそうである。

 この国土の森林を倍に増やす!という事業をやり切った、というのは、考えてみたらすごいことである。

 なお、世論調査によると、日本人が森林に期待する役割としては、
①地球環境保全、②土砂災害防止、③水源涵養機能、④快適環境形成機能、⑤保健・レクリエーション機能、⑥生物多様性保全、⑦文化機能、⑧木材等生産機能の順だそうである。
 地球環境保全という観点は重要で、京都議定書では、3.8%分を森林で吸収することになっている。過分の期待なのかどうかわからないえけれど、環境問題を梃子に森林づくりが進むのは望ましいことかと思われる。

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2008年11月 8日 (土)

農業・中国・フィンランド・国際協力

 貿易の有効性を説明する原理は、比較生産費原理しかない。経済学ではそう習った。
 簡単に言えば、ある国A,Bが、同じ投入で、二つの材、X、Yを生産する場合、例えば次のとおりだとする。
        A国          B国
 X       100         90
 Y       120         80

 この場合、B国は、XについてA国よりも生産性は低いが、国内では比較優位にある。結果Xをたくさん生産し輸出するのがいい、というものである。

 で、中国と日本を比べた場合、農業は、中国の生産性の20倍といわれている(労働投入量等で測った場合かと思われる。)。そこまでいかなくても、中国の生産性よりもかなり日本の生産性の方が高い。しかし、為替レートがそのような日本の優位性を無くしてしまっている。

 つまり、日本の農業は様々な問題はあるものの、経営努力をして世界的にみてもかなりの生産性向上を行ってきたが、工業製品の技術革新には追いつけず、国内の比較優位を失った。逆に言うと、教育水準の高さ、国民性等が、たまたま工業製品の生産に適合的であり、20世紀に工業国として覇を唱えることができたわけである。

 中国よりもはるかに高い生産性をもつ日本の農業が、中国の農産品により駆逐されてしまっていいのかどうか、少し考えてみてもいいのかもしれない。
 特に、環境制約が厳しくなっていくなかで、輸送に膨大なエネルギーを使うことが妥当かどうか、という議論も出てくる。外部不経済を考慮に入れた場合、中国からの農産品の輸入は妥当な選択と主張するのは難しい。

 ついでに、フィンランドは、農業国から、重化学工業国を経ずに、そのまま知識集約型工業を発展させることに成功しつつある(成功している?)。経営学者は、一人のリーダーが存在したらかこういうことができた、というようなストーリーにしたがるけれど、私はそうは考えない。
 農業をやったことのある人はわかるけれど、農業というのは知識集約型産業である。ノウハウの固まりである。そして、コミュニティの協力とか助言が大変重要である。これって、知識集約型工業に適合的な仕事の仕方ではないか?フィンランドにはそういう素地があり発展したものと解することが妥当だと考えている。

 またまたついでに国際協力だけれど、これは、知識集約型産業である。つまり、国際協力においては、農業型に近いコミュニティを作ることが適合的な働き方の一つだと考えている。一つには、強いネットワークが極めて重要ということになるんだけれども。
 


 

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2008年11月 7日 (金)

こんにゃくゼリーの事故で想像した

 こんにゃくゼリーで窒息死する事故があった。結局、こんにゃくゼリーの業者が生産を停止するという結果となった。この際、是非は問わない。ただ、行政の右往左往が目に浮かんだので、脚色付きで書いてみる。

 ①事故発生
 ②国民からの生産禁止を求める声
 ③政治家から生産禁止を行うよう指示
 ④担当部局がこんにゃくゼリー「だけ」生産禁止するための措置を検討。他の製品での死亡事故等を調査。
 ⑤調査の結果、こんにゃくゼリーよりも、アメや餅の方がたくさん死亡事故があることが判明。
 ⑥法制局などしかるべきところにこんにゃくゼリーの生産禁止の措置を相談。
 ⑦法制局などに「アメを規制せずにこんにゃくゼリーだけを規制するのは筋が通らない」と却下。
 ⑧担当部局も納得せざるを得ず、措置を行わないこととする。
 ⑨国民が「行政は対応しないのは何事か」と怒る。
 ⑩業者が自発的に生産停止をすることで決着。

 こういうパターンって、頻繁に繰り返されている。BSEなども少し成り行きは違うけれどこんなもんである。
 「アメで死んでいる人が多いのに、どうしてこんにゃくゼリーだけ駄目なの?」という議論が通じず、問答無用で批判される立場って幸福とはいえないだろう。やれやれ。

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2008年11月 6日 (木)

リスボン条約など

 2007年10月にドラフトが作成され、発効へ向けた準備が進められている(なかなか進んでないけれど)、EUのリスボン条約がなかなか面白い。
 特に次のくだり。
第3条第3項 The Union shall establish an internal market. It shall work for the sustainable development of Europe based on balanced economic growth and price stablity, a highly competitive social market economy, aiming ato full employment and social progress, and a high level of protection and improvement ao fthe quality of the environment. It shall promote scientific and technological advance.

"a highly competitive social market economy" って、直訳すると、「高度に競争的な社会主義的市場経済」くらいか。アメリカ型と明確に違う立場を表明している。

 なお、日本の世論調査では、「低負担低福祉」、「高負担高福祉」では、経年変化はあるものの、概ね、「高負担高福祉」を希望する方が6割程度を占めている。要するに、日本国民は、ヨーロッパ型の財政を希望していると見て取れる。

 リスボン条約が発効するかどうかわからないけれど、発効したら、日本の政策への影響も出てくるかもしれないな、と何となく考える。 

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2008年11月 5日 (水)

受験・・・

 高校2年生の子供は、医師を希望している。あーだのこーだの考えても仕方がないので、早々に志望校を絞らせた。学校選びのポイントのひとつは、『家から通える』である。
 第一希望は、国立で、「かなりがんばらないと難しい」、第二希望は、私立の第2グループくらいで、「がんばればなんとかなるかもしれない」、第三希望は、私立の平均以下グループで、「普通にやっていれば大丈夫」という感じである。

 子供は、「塾に行きたくない、パパに教えてもらいたい」と言っていて、ちょっと普通じゃないのだけれど、少し付き合うことにした。やれやれである。

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2008年11月 4日 (火)

自由論・・・

 とある大学の倫理学のとある研究室のゼミに参加している。倫理学といっても、応用倫理学なので、そんなに違和感はない。
 ミルの自由論の読書会と、倫理問題についてディスカッションが主な内容だった。読書会はギリギリと字句を詰めるものでなく、この社会への妥当性について検討するようなものである。

 自由論を久しぶりに読んだのだけれど、若かりし頃、「そうだそうだ」と考えていたのが、今では、「原則はそれでいいかもしれないけれど・・・」と、たくさんの留保をつけてしまうようになった。そうなった理由は、知識が増えたこや、環境問題とか良くない意味での大衆社会化とか、ミルの想定外のことが起きていること、などかと思われる。

 ディスカッションの方は、企業とか公務員の倫理について、応用倫理学からどう考えていくか、ということを話し合った。行政学者でなく倫理学者と、行政の職務遂行の評価についてお話するのは、興味深い。アメリカでやっているように、もう少し、倫理学者と経営者や行政官を結びつける努力があってもいいと思われた。

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2008年11月 3日 (月)

グローバルファンド

 グローバルファンドについての勉強会を開催した。
 いろいろ話したのだけれど、ポイントは次のよ

・事務所はジュネーブの本部のみ。現在、400人くらいいるグローバルファンドの職員のうち、日本人は一人しかいない。保健の専門家が多い。
・資金供与の業務に専念。ただ、評価には積極的で、供与額の5%から10%をそのために使うことが目標とされている。
・かなりまとまった資金量のため、受け取り国からは歓迎されている。小さなものでも、100万ドルくらいの供与額となっている。イヤマーク資金は例外的にしか受け取らない。
・職員はWHOの職員のステータスを持っていたが、本年末をもって独立し、スイスの民間団体となる。独立については、グローバルファンド、WHOの双方に基本的に異存がない。
・独立の結果、国連の年金基金などから脱退することになる。また、レセパセも発給されなくなるが、スイス国内では特権免除を受けている。出張では一般旅券を使用することになる。これは日本人とっては問題はないが、一部の国の人にとっては大変である。

 グローバルファンドが独立するのはいいけれど、国連関係機関でなくなり、日本人を増やそうという機運が日本側にしぼんでしまうのが少し心配である。日本も数百億円単位の拠出を行っているので、もう少し頑張ってほしいところである。

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2008年11月 2日 (日)

金融危機とイギリス・アメリカ

 外資系の会計士さんや「通貨の番人」系の仕事をしていた方や開発金融機関の幹部やアメリカの有名大学のMBAの先生とかと昼食を食べていた。

 だいたいの見通し・感触は次のとおりだった。

 イギリスについては、ポンドはさらに下落するだろう。国内の産業の競争力は低いし、先端技術も持ってないので、経済はガタガタになるだろう。金融だけを優先し過ぎた結果だろう。自業自得といえばそれまで。

 そう考えると、10月末に発売された週間東洋経済の野口悠紀雄氏の「変われなかった日本」(イギリス万歳と叫んでいます。)というのはかなり「?」である。

 アメリカについては、無理してお金を回す政策モデルは行き詰った。再び同じ程度のことはできないだろう。凋落は進むのは避けられないだろう。また、この流れで、基軸通貨としてのドルの地位がどうかなるか。基軸通貨は、軍事力と経済力の両方を備えている(両方がトップの)国の通貨だと安定しているけれど、アメリカは軍事力だけになってしまいそう。歴史をみると、アメリカの不安定化と戦争は高い相関があるが、もしかしたら・・・。

 ワシントン・コンセンサスならぬ、霞ヶ関ビルコンセンサス、でした。

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2008年11月 1日 (土)

社会のシステムがどうなるか

 しばらく前、著名な社会学の先生と昼食を一緒にさせていただいていた際、「現在の学生の世代は、男性は、10人に1人くらいしか、パートナーを専業主婦にすることができなくなる。」とおっしゃっていた。私も、10人に1人だか、20人に1人だか、5人に1人だかわからないけれど、そうだろうと予想する。一方、専業主婦志向が高まっているという統計があることを考えると、かなりの比率で、家庭の経済的危機が発生することが予想される。

 たまたま10年くらいまで機能していたシステムが、まずいことになっている例はたくさんある。件の先生は、日本の社会には絶望的な未来しか見えない、と繰り返しおっしゃっていた。私からは、しつこく、明るい未来はどうしても考えることができないのか、と食い下がったけれども。

 経済のシステムは、世界各国みんなで考えらればいいけれど、こうした社会のシステムは、自分たちで考えなければいけない。しかし、この社会は、自分で決めることが得意でない(もしかしたら、考えることも得意でないかもしれない。)。ちょっと困る。

 

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