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2008年10月31日 (金)

またまたダイエット

 与論島と韓国と中国と広島で食べすぎ、かなりテニスをするのにまずい体重になってきていること、ひと月後に人間ドックがあることなどを考え合わせ、広島から帰った日をもって、ダイエットを開始した。
 ひとたびダイエットを開始すると、それなりの成果を挙げる場合が多い。今回もうまくいけばいいのだけれど。

 ふと、「太り方・やせ方」の国別の違い、なんてことを考えた。
 ここ2年で4回訪問した韓国は、お金持ちは太っていて、庶民は普通かやせている、というイメージである。住んでいたニューヨークは、エリートは普通で、庶民は太っている、という印象である。日本は、お金持ちが貧乏人かにかかわらず、太っている人は太っているし、やせている人はやせている、と言えそうである。
 韓国は、開発途上国のパターンに近いようにみえる(開発途上国じゃないけどね。)。アメリカは、飽食の末、差別化を図る社会階層が出てきている姿なのかもしれない。日本は、飽食だとしても、そこそこのところでバランスがある程度取れている、というところだろう。

 ついでに、若い女性と中年男性(私!)が、やせようという気持ちを持つ理由は、前者は、9割以上(99パーセント以上?)容姿のためであり、後者は、9割以上、健康のため、であろう。
 中年男性が、「健康」と「容姿」のため、という気持ちを持てば、ダイエットの成功率もより高くなるような気がする。でもなー、「容姿」のために今更がんばろう、なんて気にはなれない。この歳だとやせてもなんら変わらるようには思えないし。ちょっとさびしいような・・・。

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2008年10月30日 (木)

ワーキング・プアって・・・

 ワーキング・プアというのは、開発途上国ならばともかく、資本主義の経済にはあってはならないもののはずである。
 つまり、経済学の大きな目的は、完全雇用であり、ケインズ経済学も新古典派経済学も、非完全雇用(おおざっぱにいえば失業)を問題にするけれど、ちゃんと働いていて貧困から抜け出せない状況を想定していない。
 こう考えてくると、ワーキング・プアの問題は、現代の主流派となっている経済学の理論のほころびと言っていいだろう。。
 さて、かつて主流だったケインズ経済学がいろいろは面で批判された結果、新古典派経済学が現在では主流となっている。この事実をもって、ワーキング・プアは、新古典派経済学の責に帰することが、とりあえず妥当である(少なくとも非主流派の経済学の責に帰することは間違いである。)。
 新古典派経済学者は、好景気の際にさえワーキング・プアが存在した問題に理論でもって答えていく必要がある。
 こういう風に考えているものだから、ワーキング・プアが存在しないかのような発言を繰り返す経済学者をみると、ちょっとまずいのではないか、と思う。

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2008年10月29日 (水)

行政学への批判・・・

 ある府省の局長級の人がぼやいていた。おおむね次のような趣旨である。
 「日本の行政学者は情けない。行政を危機に陥れるような提案に対して、なんら抵抗しようとしない。事実さえ述べようとしない。」
 もっときつことも言っていたけれど、割愛する。

 こういう批判が出てきても仕方がない状態なのかも、といちおう行政学を学ぼうとしている身からしても考えてしまう。件の幹部が私に言いたかったことは、「行政学なんて学んでも無駄」ということであったわけだけれど、反論しにくいのが辛いところである。

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2008年10月28日 (火)

うんち・・・

 小学校2年生の子供が、2回目の模擬試験を受けに行った。
 以前の模擬試験では、3分の2しか書かず、書いたものはほぼ正解、というパターンだった。時間がなくて、3分の2しかできなかった、ということだった。のんびりしているのは、兄とそっくりであり、その兄が受験のときに、スピード勝負であることを教え込むのに苦労したのを思い出した。

 模擬試験が終わり、「どうだった。」と聞くと、「全部解いた!」と元気に言っていた。のんびり屋のはずなのに、どうしたんだろう、と不思議に思っていたら、「うんちが出そうだったから、慌ててやった。」とのこと。
 試験が終わる時間は一緒なのに、うんちが出そうだったから慌ててやる、というのは、なんだか子供らしい。

 それにしても、小2は早いと思う。塾は3年生が週1、4年生が週2、5年生が週3、6年生が週5(土曜日が入る)、というような感じになっており、心配性な親たちのために、2年生で模擬試験が行われている。
 ただ、こういうイベントでどういう行動をとるのか、というのは子供のことを知る上で大変有益な情報でもある。さらには、子供も嫌がらないどころか、むしろ、楽しんでいる。まあ、早すぎると、そんなに心配することもないだろう。

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2008年10月27日 (月)

読書会!

 実は、読書会が好きである。
 勉強になる。知的刺激になる。知見を広げるために、大変有効な方法ではないかと思う。
 今週末にも2回、読書会がある。

 ひとつは、「データ対話型理論の発見」という、今一歩な本の読書会があるけれど、それでもなんとなく楽しみである(その後、ClubJPOの勉強会・・・)。
 もうひとつは、倫理学関係の先生や学生と、自由論(ミル)の読書会がある。これはかなり楽しみである。

 元メーカーの経営幹部で現在大学で教鞭を取っている方が、「読書会ほど勉強になったものはない」と述懐されていたことがあった。彼は、メーカーの職員だった頃から、役所を含めた将来の有望な人たちとときどき勉強会を実施していた経験があるそうだ。
 そうだよな、と思う。

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2008年10月26日 (日)

中国に行ってきた。

 中国に初めて行って来た。
 いろいろ興味深いものがあったので、少々書いてみる。

○幹部の英語の集中レッスン
 日本でいうと、多分、局長クラスと考えられる人たちが、3ヶ月くらいの英語の集中レッスンを受けていた。期間中は英語しか話してはいけないことになっていた。外国の客が多いから英語くらい話せるようになれ!ってことなんだろう。

○市役所
 市役所の各「部署」は、独立性が高く、各「機関」と呼んだ方がよい。建物も離れている。つまり、日本のように市役所というと、ひとつの建物があり、警察などを除けば、そこにすべて揃っているというものではなく、中央省庁のようなイメージである。

○窓口事務所
 各「機関」の窓口を集約した窓口事務所が設立されている。そこには、「申請後、決められた期間内に処理しなければ、原因と責任を追及する」という趣旨の大きな張り紙があった。本当にそうしているらしい。
 訪問した事務所の入り口には、時間のかかる申請について、電光掲示板で、申請の種類、申請者名、申請日、決定通知期限、現在の処理状況が示されている。要するに、誰がどういう申請をしているのか、だいたいわかることになる。日本だとプライバシーの侵害と批判されるだろう。

○交通マナー
 中国では、車も歩行者も交通マナーが、日本の基準に照らすと、極めて悪い。そのため、政府職員が日本に出張する場合には、日本の交通マナーを厳しく教え込むことになっているとのことである。

○中国式会談場
 日中首脳会談を中国でやると、大きな応接椅子に首脳が二人並んで、後ろに通訳が一人ずつつく形で行われるのをテレビなどでみることがある。ああいう会談場で、代表者が座る席で会談させられた。初心者の私はついつい相手側に体を向けてしまうのだけれど、慣れている人は、ときどき相手方を一瞥するといった振る舞いをする。どうもそれがルールらしい。

○大連の人の意識
 大連市の職員と話しをした。
 2005年、北京や上海で反日暴動があった頃、日本の地方自治体から大連市へ100人規模の訪問が予定されていた。その訪問の日本側の担当者から、「訪問して大丈夫か?」という問い合わせがあったそうである。
 そうした問い合わせに対し、その職員は、「どうして心配するのか不思議だった。『北京や上海とは関係がない。』と返事をした。」と話してくれた。意外な感じがした。

○大連市の開発
 大連市には開発特区のようなものがあり、外資を導入して開発に取り組んでいる。
 大連市の担当者から、「すべて順調!」というような説明を受けた。バブルを謳歌していた頃の日本みたいな印象がないではなかった。その後、日本の現地企業を訪問したら、電気が足りなくなり、3つある工場のうち、ひとつを自家発電で操業していた。どうも「すべて順調!」とはいかないらしい。

 いろいろ勉強になった。。。
 

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2008年10月25日 (土)

日教組・・・

 日教組が脚光を浴びた。かなりきつい批判がなされた。

 私自身は、日教組を批判する気持ちはほとんどないし、支持する気持ちもほどんどない。

 ただ、中学生の頃、日教組に所属していた先生の行為について、お願いだからやめて欲しかった、と思うことがあった。
 一つ目。
 中学一年生のとき、三年生が文化祭の出し物で演劇をしたのだけれど、テーマが、「毛沢東の生涯」だった(あの先生、どうしているかな・・・。)。当時、なんだかわからなかったけれど、隣国の指導者をどうして神のように崇めなくてはいけないのか、という強い違和感があった。全校生徒が見るので、宣伝の必要はないのに、毛沢東のイラストを学校中に貼り付けていたので、みんな展示モノだと勘違いしていた。
 二つ目。
 駅前でビラ配りをしてから出勤するのを見ていて違和感があった。ビラ配りに熱が入って遅れてくる場合もあった。「生徒の遅刻に厳しいのに、先生は遅刻していいんですか?」と不用意に言ってしまい、いじめに遭った。
 三つ目。
 ビラの内容に違和感があった。待遇改善関係だったけれど、文面に「死ねというのか!」なんてことが書かれていた。ビラを受け取った人が「わしらよりようけぇもろうとるのに」(私たちよりたくさん(給与を)もらっているのに)」という言葉が耳に残った。
 四つ目。
 アリランを教えてもらった(これは後に知識として役に立った。)。

 時代も時代だったし、現在、マスメディアから流れ出る情報に比べたら、「これしきのこと、批判する気にもなれない。」って気持ちである。

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2008年10月24日 (金)

社会のために奉仕することをやめようと考え始めてないか?

 公務員に対する批判が厳しい。
 くだらないことでも揚げ足を取られ、罵声を浴びせられることが多い。全く失当な批判も多すぎる。

 日本って、低給与でも公共のために徹夜を厭わず(場合によっては、何日も家に帰らず)仕事する優秀な若者がいたことでそこそこの国になってきたといっていいと思う。そういう若者にとって、浴びせられる罵声はどう聞こえるのか、と思う。

 社会との一体感がないと、公共のために奉仕するといった気持ちは生まれてこないけれど、「罵声を浴びせる人たち」との一体感を持ち続けることはできるとは思えない。
 優秀な若者たちが、「あいつらとは関係ない」と、自らの利益のためだけに行動すれば格差も大きくなり社会も荒むだろう。結局、「罵声を浴びせる人たち」が、正しく復讐されることになりかねない。

 しばらく前、外資系金融機関に転職した元若手官僚を「自分の幸せだけ考えている」と批判しているコラムを読んだ。私は批判する気になれない。彼を転職させた原因は、主に「罵声を浴びせる人たち」だったわけだし、その人たちに、「あなたたちと一体感をもてません。だから自分のことだけ考えます。」と言ってしまう資格は十分にある。
 いわゆるエリートとそうでない人たちが一体感をもてなくなった社会がどうなるか、覚悟をしておいた方がよいのかもしれない。

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2008年10月22日 (水)

人事評価・・・

 国家公務員に、新しい人事に関する評価制度が導入されつつある(試行中である。)。
 人事に関する評価制度が導入される方向づけがなされたのは、このような理由からだと考えられる。

(理由1) 「よく働く人も働かない人もも同じ給与なのはおかしい。差をつけるべきだ。」
(理由2) 「優秀でないいわゆるキャリアが優秀ないわゆるノンキャリアよりも高いポストについているのは、ノンキャリアの職員のやる気を削ぐ。入り口主義はよくない。」

理由1について少し考えてみる。
 新しい評価制度にこれらの問題の解決を求めるのは難しいだろう。なぜなら、これまでも国家公務員は評価は実施してきている。つまり、給与に差をつけることや、優秀でないキャリアの昇進を遅らせ、優秀なノンキャリアの昇進を早めるといった決断を人事当局が、それなりの理由をもとに行ってこなかったからである。つまり、評価制度の問題に帰するところは小さい。

 また、若年層がまだまだ生活給をベースにしているような状態で、評価を結果に反映することは難しい。小さい違いが、金銭的インセンティブになるとは考えかれない。アメリカの企業のように平社員と社長の給与の差が100倍とか1000倍といったような大きな差を設けるのであれば、金銭的インセンティブを理解できるけれども。

 もっというと、外資系等の人事関係者と議論をしていると、「評価なんて、不景気でリストラをするときの準備みたいなもの」くらいの結論に落ち着いたりする。要するに、好景気のときにコストをかけて評価を行い、不景気になったらリストラを迅速に行えるようにしておくわけである。多分、これが本音だろう。給与に細かく差をつけても、ほとんど効果がない(むしろ弊害がかなり大きい)ことを承知している。
 建前(給与インセンティブ)と本音(不景気時のリストラ準備)を承知して対応していくことは必要だけれど、建前を本気で信じて、マネをするのはよくない(富士通の制度への批判する本があったけれど、建前を本気で信じて失敗した例のように思えてならない。)。

 ついでに、日本の国家公務員制度は、アメリカのような特殊なものではなく(あえて、「特殊」と書く)、フランス、ドイツ、イギリスなどのように、若いうちに公務員として採用され、育成され、長期間勤務するシステムを採っている(ついでに、アメリカも、こうしたやり方をレーガン大統領の頃から採り入れようと努力してきている。)。こうした長期雇用の場合、短期的評価を行って職場をギスギスさせるよりも、長い目で育成していき、評価は自ずから定まっていく、という考え方の方が適合的である。公務員はたくさんの法律に囲まれていて、たとえば、一人の労働基準監督官を育てるのに、大変な年月を要することを念頭に置く必要がある。

理由2についてもまたまた少し考えてみる。
 これは、国家公務員特有の問題である。
 1985年まで、試験が、大卒、短大卒、高卒対象に分かれていて、それを、大卒(Ⅰ種)、大卒(Ⅱ種)、高卒(Ⅲ種)に再編した(この再編のひとつの理由は、短大卒対象の試験に大卒者の受験者が多数を占めるようになったからである。)。
 1985年までの採用状況を単純化すると、「東大法学部と高卒」という図式だった。しかも、この「高卒」の優秀な者は、夜間の大学に通い、民間に転出するものも多かった。さらに、この「高卒」の人たちでも優秀な人たちは、局長の一歩手前まで昇進するものもおり、それなりに処遇されているようにみえる。
 「東大法学部と高卒」という図式が融解し、「優秀でないⅠ種(大卒)と優秀なⅡ種(大卒)の並存」という図式が生まれた。つまり、理由2に示すような状態が生じ始めた。
 これに対応し、各府省は、優秀なⅡ種職員を登用しようとしてきている。惰性で人事管理をやっていると、こうした変化に対応しないところもあるので、政府全体として取り組みを強めてきている。要するに、基本的には、その時々の状況に対応しながら運営しようと努力してきているわけである。
 
 また、将来の幹部として育成されている者と、事務を手堅く実施することを期待されている者で、同じように優秀な場合にどちらを昇進されるか、といった問題である。前者は、極めて短いローテーションでさまざまな職務をこなし、法案を作成したり、他府省との調整を行いつつ、他省庁や外国での経験を積ませる。後者は、同じ部署に長くいて特定の業務に精通している。結論はいうまでもないのだけれど、前者のような仕事はそんなには多くなく、つまり、試験で選抜した者をそうした経験をさせることが妥当、ということになってしまう。

 このほかにも並べても並べたりないくらい、評価を巡っての論点はある。
 たとえば、国家公務員は、職務記述書をつくらないことで柔軟な組織運営を行っているけれど、のように、職務記述書がない組織で評価を行うことはかなり無理があること、評価を含むマネジメントの負担が小さい分、課長が部下のサブスタンスを中心とする指導に力を割くことができること、などなどである。

 こうした問題を抱えながら、近い将来、新しい評価制度が導入されることになるけれど、上手に運用しないと、まずいかな、と少し(かなり?)心配している。
 基本的には、評価制度は、人材育成のための手段に使って欲しいと願っているのだけれども。

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2008年10月17日 (金)

知は力?

 欧米人って、きっと、「知は力なり」ということをまじめに信じている人たちだと感じることがある。
 というより、われわれ日本人が、物事を判断するに当たっての基準が、経験に偏り過ぎていることがそう思わせるのかもしれない。
 日本では長らく「大学での学びが役に立たない」と言われていた。今は、大学にスキルを期待しているみたいだけれど、このことは、むしろ事態が悪化したようにさえ思う。

 企業や行政の改革の必要性が頭でわかっていても、変えられないのは、多くの場合、知識(知恵)より、これまでの経験を重視した結果だろう(外野からくだらない提言(全部とはいわない)が乱舞するのは、本気で改革をしようとしていないからだと思う。)。

 私の知る欧米人で「この人はすごい」と思わせる人は、よく勉強していた。本もたくさん読んでいた。

 見習おう・・・。

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2008年10月16日 (木)

中国・・・

 中国に出張中である。
 一応、出張者の中の代表ということになっている。
 出張者の中には、かつて大学の先生をしていたときの教え子がいて、ちょっとやりにくい。
 昨夜、レセプションがあり、中国側のホストの隣に座ったのだけれど、1990年に、中国の公務員制度をつくるための作業のお手伝いのために、よくお会いしていた人だった。本人もびっくりしていた。また、レセプションには、日本大使館の職員も出席してくれていたのだけれど、2回、研修で顔を合わせた人がいた。

 今日は、中国政府のカウンターパートと意見交換をしたのだけれど、古い友達から参加できなくて悪い!というようなメッセージが届いていた。今日の通訳は、かなり専門的な話をするので、大学の教授が勤めてくれていたのだけれど(恐れ多い。。。)、ふと日本で会ったことがあることを思い出した。。。

 初めての中国で、ピンチヒッターでの出張で、しかも代表だし、ドキドキしていたけれど、こうも知り合いが多いと、ちょっと安心したりする。
 

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2008年10月15日 (水)

学徒出陣・・・

 学徒出陣という悲しい歴史があった。
 学徒出陣は、学生全員が出陣対象となったわけではなくて、理科系で戦争継続のために必要だったとか、理科系の教員となるべき学生などは除外されていた。これに加えて、戦後の日本のために有為な人材と目された人たちが免除されたりもした。
 たとえば同じ東大の文学部でたったひとりだけ優秀だから、という理由で免除された人って・・・、などと考えていた。

 たまたま、そういう人のひとりに会った。期待に応え、十分すぎる活躍をしてきた人だった。いろいろなものを背負った人生だったんだろう、と考えた。
 

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2008年10月14日 (火)

ドッジボール

 小学校低学年の子供たちがドッジボールをしているところを眺めていた。
 それぞれの個性がみてとれて興味深かった。眺めているうちに、だんだん、私の周りにいる人たちと重ねて見てしまった。

 相手がボールをぶつけてくるときの行動の観察結果を分類してみると・・・

・ボールを積極的にキャッチする子
・相手がボールを投げるときにわざと前に出て標的になりつつ上手によける子
・ボールをキャッチしようとはしないがこぼれ球を拾う子
・ボールをとろうとせずひたすら逃げることを楽しんでいる様子の子

などである。 

 また、ボールをとってから、すぐに投げる子がいれば、いつまでたっても投げない子もいる。味方同士でボールを奪い合う場合もある。ちょっとまずいのは、満足にボールを投げることもできないのに、味方の「エース」から無理やりボールを奪い取る子がいたりした(将来が心配・・・余計なお世話だけれど。)。

 ドッジボールは、小学校低学年に限っていえば、それぞれの性格がよく出るし、同じ条件なので、比較しやすいスポーツだといえそうである。

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2008年10月 9日 (木)

サンゴ礁の守りびと

 今年も、高校時代の友人を訪ねて与論島に行った。
 彼の奥様は、これまで、与論島で島起こしに取り組んでいることに必ずしも満足しているわけではなかった様子だった。それが今年、「地域のためにがんばる人が必要なのよ」と言っていた。夫婦が移住してから、8年になるけれど、奥様は彼の取り組みに心から理解を示した、と私は解した。

 その友人が、日経の全面広告に出ていた。現在、霞ヶ関や虎ノ門の地下鉄の駅にパネルが張ってあったりする。
 曰く「サンゴ礁の守りびと」。
 与論島の島起こしの一環としてサンゴの保護に取り組んでいるが、その補助金を出してくれた企業の広告である。
   http://www.microsoft.com/japan/citizenship/story/interview/default.mspx

 実物よりずっとよく撮れている、とついつい減らず口を叩いてしまう。
 
 

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