ン十年前の新婚旅行ではひどい目に遭った。
ロンドン、マドリッド、パリ、ローマを巡るツアーだったのだけれど、ロンドンからマドリッドに移動する際、JTBの手違いで、ガトウィックで飛び立つ筈がヒースローに行ってしまった。夕方のことである。しかも、翌日は国際線のストライキが予定されている。
急遽、スペインの北部ビルバオへの最終便に乗ることになった。国内便にストライキの予定はない。そして急遽、パートナーと私がツアーコンダクターをする羽目になった。
ヒースローで、スタッフから、ビルバオについてからの行動についていろいろ説明を受けながら、最終便に向けて走った。ふと、二人組のおばあちゃんたちのことを忘れていて、説明を受けるのをパートナーに任せて、おばあちゃんを探しに戻ろうとしたら、足のあまりよくない方のおばあちゃん(Sさん)を、鹿児島県人の西郷さんのような兄ちゃんが背負って走ってきていた。すごい勢いだった。もう一人のおばあちゃん(Iさん)は、元気に走ってきてくれていた。
なんとか飛行機に飛び乗った。みんなのチケットは私が持っていた。といっても、皆の分が2枚重ねの紙切れ1枚だった。紙に皆の名前が記されているチケットってはじめてみた。
ビルバオに着き、手続きを終わらせると、JTBが手配してくれたバスが来ていた。ガイドさんがいてくれたので、英語で話しかけると、なんとスペイン語と少々のドイツ語しか話せない、ってことだった。ホテルに着いたら、とっとと消えてしまった。何のために来たのかほとんど不明だった。
無事、ホテルに着くと、機内食で腹いっぱいだった私たちに、ぞうりのようなステーキが待っていた。件の西郷さんは、ご飯を残すのは男の恥とばかりに食べきった。すごい。
ホテルはとても品がよかったのだけれど、隣の部屋と鍵が閉まったドアでつながっている部屋があり、女の子が怖がって、「部屋を変えてください」とホテルのフロントでなく、ツアーコンダクターの私に申し出てきた。フロントとかけ合ったら、隣の部屋には宿泊客は入れてない、とのことだった。これで解決したのだけれど、なんで私が・・・。
翌朝、バスが迎えに来ていた。バスで空港まで行くと、濃霧で飛んでいません、とのことだった。スペイン語しか話せないガイドさんは、「私はここまで」と空港のスタッフに通訳させて私に言い、一方的に去っていった。二重になった1枚紙のチケットの写しを持って行った。
霧が晴れ、マドリッド行きの飛行機が飛ぶので、搭乗手続きをするため、カウンターに行き、1枚紙のチケットを提示した。そうしたら、「これは写しです。」とのことだった。血の気が引いた。すると、上司らしき人が来て、「OK,OK」ということで、飛行機に乗せてくれた。いい加減だった。よかった。。。
無事マドリッドに着き、JTBの人が迎えに来てくれていたのだけれど、「非難轟々」だった。私は、ニヤニヤ見ていた。結局、オプショナルツアーをタダにすることで折り合った。マドリッドでは、みんなタダのオプショナルツアーを楽しんだけれど、パートナーと私は利用しなかった。フラフラ歩いたほうがいい、という判断である。
マドリッドでの最初の夜、オプショナルツアーから帰ってきた一行とたまたまご飯が一緒になった。いろいろ話していると、少なくとも5人以上、私より英語ができる人がいることがわかった。
「だったら、ツアコンを引き受けてくれたらいいのにーーー!」
「でも、みんな頼り切っていたよ。JTBのお兄さん、いい人を選んだ、ってみんなで話していた。」だと。
まあいい、褒められて悪い気はしない。
それはさておき、二人組みのおばあちゃんたちは、ずっとオプショナルツアーを利用していたけれど、パリでは、オプショナルツアーがない日があったので、私たちがベルサイユ宮殿とか、ノートルダムを案内した。
アフガニスタンの停戦合意がなされたときだったので、ノートルダムでの説教で、アフガニスタンの平和を祈っていた。日本のお寺の説教では、アフガニスタンの停戦合意を受けて、平和を祈る、なんてことはしないな、なんてことを考えたのだけれど、こういう感想を抱いたのは、はじめての海外だったからだと思う。
ついでに、おばあちゃんのかたわれのSさんは、パスポートをスーツケースに入れたまま空港に送ってしまい、あきらめてこのままパリに滞在してパスポートの再発行の手続きをする、なんてことをポロっと言ったので、私は慌ててスーツケースのありかを問い合わせた。無事だったのだけれど、なんと世話の焼ける。。。
そのSさんは、群馬の霧積の由緒ある小さな旅館の女将さんだったのだけれど、「帰国したら遊びに来て!」と何度もおっしゃるので、何度か行った。
今日(23日)、子どもを二人連れて、数年ぶりに日帰りで霧積に行き、温泉につかってきた。
Sさんはいなかったけれど、旦那さんがいた。旦那さんとは実ははじめてお話をした。Sさんは入院しているとのことだった。いろいろ話していたら、Sさんは旦那さんに旅行のことを何度も何度も話して聞かせていたらしい。女将ってのは、おいそれとは旅行に出かけられないから、いい思い出だったんだろうと推測した。そればかりか、帰国後、私が遊びに来たことを大変喜んでくれていて、そのことも何度も話して聞かせていたらしい。
旦那さんとは長話になってしまったのだけれど、跡継ぎがアルコール依存症で、Sさんはそれを苦に精神的に参ってしまい、入院したらしい、ということがわかった。
ずっしり重い気持ちになった。
でも、また来よう。Sさんに会いたいし。
帰ろうと玄関を出ると、元気なハイカーのおばちゃん4人組がタクシーを待っていた。
「ここから登って降りてきたんですか?それとも碓氷からですか?」
「碓氷からゆっくり5時間くらいかけてきました。」
「『人間の証明』みたいですね。」
「それをたどりたくてきたのよ。」
森村誠一の小説「人間の証明」では、西条八十の詩が使われていた。
曰く、「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。」
「麦稈帽子」って「思い出」とか「幸せの喪失」とかを象徴しているんだと思うけれど、なんとなく心にしみた。