06 テニスなど

2008年11月10日 (月)

うれしくないテニス談義

 先週、日曜日の早朝6時から8時まで、妻とテニスをしていた。
 妻は、女性には珍しく、片手打ちのバックハンドで、しっかりトップスピンをかけることができ、普通にラリーをしてもあまりミスをせずに行うことができる。まあ、「トップスピン・バックハンドが確実にできる」という状態である。

 練習モード(体育会系モード?)でプレーしているのだけれど、8時から予約しているおじさんたちが早めに来ていてわれわれのプレーを見ながら、談笑していた。
 大きな声で話していたので、内容がよく聞こえた。エドバーグだの、サーブ&ボレーだの話しているなかで、「女性は力がないから、両手打ちのバックハンドがいいんだよ。」とえらそーに言っているのが聞こえた。

 いつものことである。品がないし、物理の力学についての理解や、目の前で起きていることを認める態度もないな、と思う。
 トップスピンに力はいらない、ラケットをそれなりのスピードで振れれば十分である。トッププロみたいに限界まで力を出して打つのなら話が別だけれども。

 テニスを終えてそのおじさんたちがテニスを始めているのを眺めながら帰り道についていると、両手打ちで当てるだけのバックハンドを、無残なフォームで打っていた。テニスに神様がいたら、天罰が下りそうなくらいである。
 「えらそーに言う姿」と「フォームの無残さ」のコントラストがとても面白かった。
 テニスを「ちゃんと」やろう、という気持ちはなく、単にボールを打っているだけ、でやってきているんだろう。

 公営コートでは、そういうおじさんの数と、ちゃんとテニスをしようとする人の数は、前者が圧倒的に多い。圧倒的に多いので、グループを形成して、まとめてテニスコートを抑える、ということをしている。
 上手な人たちは、「テニスをちゃんとやろうとする気持ちなく、無残なフォームで、どこに飛んでいくかわからず、単にボールを打っているだけ」という人たちとは、一緒にテニスをやるわけがない。単なるストレス解消につき合わされたらかなわない。
 結果、公営コートでは、「きっちりテニスをしようとする人」たちが締め出されるということになる。大衆社会の政治力学がここでもみられる。

 たまにしっかりしている人たちが隣のコートでやっているのを見かけることがあるけれど、マナーもいいし、うれしくないテニス談義ももちろんない。多分、テニスというスポーツの難しさを通じて鍛えられた経験が、そうしたマナーなどを身につけさせているだろうと思う。
 もっというと、公営コートで見かける若者はテニスをうまくなろうとしている人が多く、明らかにおじさんたちよりもマナーがいい。公営コートでは、「近頃の若者は・・・」でなく、「近頃のおじさんは・・・」の方が妥当する。社会においてもそうなりつつあるのではないか。

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2008年7月 7日 (月)

フェデラーのバックハンド

 ウィンブルドンの男子シングルス決勝で、ナダルがフェデラーのバックハンドを執拗に攻撃し、競り勝った。
 ナダルにとっては、フェデラーのバックハンドを狙う、という作戦で臨む以外の方法は、多分なかった。また、これは、ナダルとフェデラーのテニスを見ている人たちにとっては、当然の成り行きのようにも思えた。

 しかし、ウィンブルドンが始まる前、あるテニス解説者は、フェデラーのバックハンドの素晴らしさについて述べていた。コーチとしても有名な人である。
 仮に彼がナダルのコーチだったら(そんなこには決してならないが)、ウィンブルドンでの勝利はなかっただろう。また、彼がコーチをしている相手に対して、どんなミス・ガイダンスをしているのか、気になった。

 日本のテニスの弱さの理由の一端は、こういうところにあるのではないかという気がしてならない。

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2008年5月 2日 (金)

人のテニスだけど・・・

 週末の早朝、近所のテニスコートでテニスをしている。
 隣のコートのプレーを見ることなしに見ていると、いろいろ考える。

 どこに飛ぶかわからないような人がいれば、おかしなフォームで打っている人もいる。
 テニスには、「10年やっても絶対上達しないようなフォーム」というのがある。というか、我流でやっているとそうした状態に陥ることがよくある。しかし、毎日のようにやっていたら、そういうフォームでもいちおう、ボールは飛び、相手のコートに入る。自分のフォームが自然なフォームではない、とは薄々感じているに違いないけれど、変えようとはあまり考えないらしい。
 お節介をするつもりはないけれど、そういう人がテニスを教えていたりすると「うーむ」と考えてしまう。

 一方、テニス・スクールに通って、上手になった大人を私はほとんど知らない。教え方を眺めていても、教え方にどこか根本的な間違いがあるのではないかという気がしてくる。教える手順というものがもっと研究され、普及してもいいのではないかと思う。

 と思って、いろんなテニスのプレーの仕方のホームページを見ていたら、それなりに出来のいいものがある。テニスを上達するための情報へのアクセスは可能である。

 自分のやり方を変えようとしない、スクールが上達の近道になってない、しかし、自分で考える人のための情報がある、という状態ということになる。つまり、日本には、「テニスを上達させない行動規範や文化」というものがあるような気がしている。


 

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2008年3月25日 (火)

テニスの予約のIT化

 私の住む市には、公営のテニスコートがそれなりにあるのだけれど、引退した人たちや主婦の方々など、昼間、時間がある人たちでないと、予約が取れない状態だった(並んでとる、なんてことになっている。)。

 かといって、私設のテニスコートは、1時間6000円以上だったりする上、近くでなかったりする。郊外で、屋外・クレーでその値段はないだろう・・・(公営は2時間400円。30分の1くらい。もう少し高くしてもらってもいいかな。)。

 公営にしても、私営にしても、「ひどいよなー」と思っていたら、公営コートがいつの間にかインターネット予約ができるようになっていた。素晴らしい。
 これで、時間をかけてテニスコートまで行く必要はなくなる、というか、散歩がてらにテニスができる。
 これからの季節、日曜日の朝、軽く汗を流すのにテニスは丁度いいし、習慣としてできるのはとてもよい。

 「市なんて、どうせこんなもん」なんて期待値が極めて低いのだけれど、みくびってはいけないらしい。

追伸 市と米軍のゴルフ場がタイアップして、子供ゴルフ教室なるものを開くとのことである。誰が考えたのか知らないけれど、いい着想だとう思う。

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2008年3月17日 (月)

テニス・・・

 久日ぶりにテニスをした。

 今回は、上手な人も参加していたので、真面目にサービスを打ったりしていた。

 久しぶりにサービスをするときはいろいろ考える。だいたい次の手順である。

1.トスを一定の場所に上げることを考える。
2.ラケットの面の真ん中でボールを当てる感覚を思い出す。
 ※上にあるモノは遠くに見えるので、それを調整する。
3.インパクト時にもっともラケットが速く走っているようなタイミングを見つける。
 ※ラケットをムチのように使うので、とにかくタイミングやリズムが重要である。タイミングを外すとスピードは出ない。
4.上記1.~3.を念頭にいれつつ、ボールの飛ぶ高さを調整する(以上、ファーストサービス)。
5.セカンドサービス(トップスピンサービス)の練習をする。

 セカンドサービスの方が、必要とする練習時間が長いのだけれど、ファーストサービスの方がナチュラルなスイングなので、私はファーストサービスから練習することを好む。

 こういう手順が出来上がっているので、どこか違和感があるときには発見しやすい。また、改めて振り返ってみると、この手順、それなりに合理的である。

 テニスならぬ分野で、こうした手順を身につけていくことができればいいのに、と思う。

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2008年2月17日 (日)

運動・・・

 スキーを除き、長らく運動をしていない。
 昨日は、ひさびさに家族で行動できる日だったこともあり、テニス、野球、フットサルをやった。おかげで体中が痛い。
 小学校1年生の息子も一通りのことができる。本人は野球が好きだけれど、どちらかというと、フットサルやテニスの方が上手である。一緒に野球をやる人がいないのが理由である。
 小学校に入ったら、野球を始めたいとも言っていたので、近所の少年野球団の練習風景を見に行ったら、教えている大人が不釣合いの多く、「おらおらー!」「腰を落とせ、ばかー!」と罵声が飛ぶ。子供は、はっきりは言わないけれど、入る気持ちが萎えたみたいだった(よかった。)。

 私が高校でテニスをしていたときは、のびのびとやっていた。進学校だったこともあってか、練習時間が限られており、大変合理的な練習をしていた。規律は本人任せである。それでも、チームは、県レベルのほとんどの大会の優勝はかっさらっていたし、全国大会でもベスト4とか8とかが当たり前だった。学校のクラブ活動でないという部分もあったのがユニークだった。例えば、テニスショップの仲間のつてなどを利用し、大学生や社会人に混ざって練習するというように、学校以外で自主的に練習することもたくさんあった。自分で練習の機会を確保していたわけである。そうして、いろんなテニスのスタイルを学んでいた。
 大会等で、上下関係が厳しい他の高校の様子をみて、当時、口の悪い仲間と「アホではないか」と言い合っていた。

 件の少年野球団に対して、「アホではないか」というつもりはないけれど、指導者であるならば、相手に本当に伝わるような指導方法を考えるべきだと思われる。それがないところは、悪い意味での精神論が横行するだろう。
 運動くらい、のびのびやらせたい、と思う。

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2006年11月 4日 (土)

ダイエット3

 ダイエットを始めてもうすぐ2ヶ月である。12キロ減を達成、目標まであと3キロである。
 2ヶ月もやっていると、ダイエットが当たり前になってきたように錯覚する。
 周りからは、「意志が強い」といわれるが、決してそうではないと思う。また、「身体に悪いのでは?」と言われるけれども、体調はすこぶる快調である。彼我の意識のギャップは興味深い。
 特に禁酒は意志が強くないとできないのでは?と周りから言われている。確かに最初の1週間は辛かった。夕方になると喉が渇いた。体がアルコールを欲しているようだった。しかし、いつの間にか欲望が小さくなっていた。もしかしたら、飲みたくもないお酒を飲んでいたのではないか、という疑念も沸いてくるほどである。
 生活パターンを変えて、それに慣れてしまったからなんだと思う。習慣の力は強い。
 体調はというと、ダイエットしている間、自分の体調に注意を払うようになった。血糖値が足りないかな、とか、野菜が足りないような気がする、というように、食べるもののコントロールができるようになった気がする。
 ついでにいうと、先日、風邪を引いたのだけれど、そのときは、ダイエットを休止して、構わず元気がでるものをたくさん食べた。ダイエットは、必死にならないのが重要だと思う。
 ということで、あんまり辛くないダイエットだけれども、いくつか良いことがあった。
(1)家人によると、いびきがほとんどなくなったそうである。肥満による気管の圧迫がいびきの理由の一つということらしいが、私のいびきは、ダイエットにより解消されるものだったようである。
(2)先日、北海道に行くため飛行機に乗ったとき、座席の座りごごちがよかった。1割以上小さくなったわけだから、余裕が生まれたわけである。飛行機嫌いが少し緩和されるかもしれない。
(3)太っているときは汗かきだったので、スーツで歩き回る、ということをしなかったけれど、なんとなく、スーツで歩き回ってもいいかな、という気持ちになり、散歩したりもした。
 こんなにいいことずくめだったら、もっと早めにやっておけばよかったかも。

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2006年7月 3日 (月)

テニス:ハードコート

 かつて、さる国連関係のとっても偉い人がテニスをしたいといい始めた。
 全米オープンの会場のフォレスト・ヒルズでやりたい、ということだった。
 その場に私が居合わせたらよかったのだけれど、30年以上前から、全米オープンは、フォレスト・ヒルズではなく、フラッシング・メドウで行われている。お年を召した方は、ときどきこういう間違いをする。
 そういえば、クリントン元大統領と選挙戦を戦った共和党の候補は、「ブルックリン・ドジャース」(正しくは、ロサンジェルス・ドジャーズ)なんて発言してしまい、メチャメチャにこき下ろされたっけ。
 黙って、フラッシング・メドウを予約することにした。まさか、フォレスト・ヒルズの赤土のクレーコートを想像してはいまい。
 かつて、テニスの四大トーナメントは、全仏と全米がクレー、全英と全豪が芝だった。
 その後、ハードコートが主流になってきて、全米と全豪もハードコートで行うこととなった。
 そこで、困ったことが起きた。ハードコートの主流化が相当程度進んでから、グラファイトなど素材の開発で、ラケットが劇的に進歩してしまった。この結果、男子テニスは「サービスだけで終わる」なんていわれる状態になった。
 ハードコートが主流になり始めた当時は、ラケットは、まだ木製の小さなもので、かつ、大変重かった。要するに、ラケットの反発力は小さく、スイートスポットが狭いので回転もかけづらく、重いので扱いにくいため、「サービスだけで決まる」というような状況ではなかった。
 しかし、ラケットの進歩で、想定外の状況が生まれてしまったわけである。
 テニスというスポーツが、「サービスだけで終わる」と揶揄されるのはよいことなのだろうか。なんらかの対策があっていいのかもしれない。

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2006年6月20日 (火)

ダイエット8

 人間ドックに行ってきた。1年ぶりである。
 1日コースの場合、帰り際には、大半の血液検査などの結果が出ているのだけれど、それを元にいろいろ今後の健康管理について話し合うことになっている。昨年と同じ病院だったので、昨年の結果と付き合わせて、比較しながら、話し合った。
 ダイエットをした甲斐あって、数値が大幅に改善していた。
 「模範的ですね」「この年でこの数値は珍しいくらい」「この調子で健康管理に気を付けてください」とかいろいろ褒められたりして、悪い気はしなかった。
 病院の担当者の示すペーパには、たくさんたくさん数値が並んでいるのだけれど、健康状態がよくなれば、よい数値になる、ということには、新鮮な驚きがある。
 健康状態というのは、全体として一つの目標を目指しているものであり、かつ、その目標は、要素に還元できている(という錯覚がある)わけである。
 世の中もそういう風にできていればいいのに・・・。

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2006年6月11日 (日)

テニス・言葉

 Aさんにテニスを教えた。
 Aさんは、テニスはそこそこやっていたのだけれど、両手打ちのバックハンドが苦手だった。
 初めて一緒にやったとき、「これはまずい」と思って、無理やりフォームを変えさせたが、しっくり来ていない様子だったので、とても気になっていた。中途半端にフォームを変えさせて、フォローをしないのはよくないので、集中レッスンをすることにした。
 とにかく、手でボールを出して、Aさんが上手に打てる「ツボ」を探していった。あとは、「ダラりと小さく始めて、下から上へ、バケツで水を撒くように」と繰り返し、簡単なイメージを伝えて、ラケットで延々ボールを出し続けた。1500球くらいは打ってもらった。
 途中、手の使い方が荒っぽいので、片手打ちをさせて、自然に丁寧に打つことを心がけさせた。
 そうして我慢強く、観察しながら球出しをしていたら、見事にブレークスルーが起きた。
 つまり、コツをつかんだし、バックハンドの苦手意識もなくなったし、しっかりとトップスピンのかかったバックハンドストロークが打てるようになった。Aさんも大喜びだった。
 ここで興味深かったことがあった。私は、「ダラリと小さく始めて、下から上へ、バケツで水を撒くように」と繰り返し言っていたのだけれど、Aさんによると、この言葉の意味が、打てるようになって初めてよく理解できた、ということだった。
 それぞれ、日本語としての意味は簡単に理解できる。これを心がけて練習をしている。しかし、それが身にしみてわかるには、一定の境地に到る必要がある、ということだろう。
 教えるって、難しい。

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