うれしくないテニス談義
先週、日曜日の早朝6時から8時まで、妻とテニスをしていた。
妻は、女性には珍しく、片手打ちのバックハンドで、しっかりトップスピンをかけることができ、普通にラリーをしてもあまりミスをせずに行うことができる。まあ、「トップスピン・バックハンドが確実にできる」という状態である。
練習モード(体育会系モード?)でプレーしているのだけれど、8時から予約しているおじさんたちが早めに来ていてわれわれのプレーを見ながら、談笑していた。
大きな声で話していたので、内容がよく聞こえた。エドバーグだの、サーブ&ボレーだの話しているなかで、「女性は力がないから、両手打ちのバックハンドがいいんだよ。」とえらそーに言っているのが聞こえた。
いつものことである。品がないし、物理の力学についての理解や、目の前で起きていることを認める態度もないな、と思う。
トップスピンに力はいらない、ラケットをそれなりのスピードで振れれば十分である。トッププロみたいに限界まで力を出して打つのなら話が別だけれども。
テニスを終えてそのおじさんたちがテニスを始めているのを眺めながら帰り道についていると、両手打ちで当てるだけのバックハンドを、無残なフォームで打っていた。テニスに神様がいたら、天罰が下りそうなくらいである。
「えらそーに言う姿」と「フォームの無残さ」のコントラストがとても面白かった。
テニスを「ちゃんと」やろう、という気持ちはなく、単にボールを打っているだけ、でやってきているんだろう。
公営コートでは、そういうおじさんの数と、ちゃんとテニスをしようとする人の数は、前者が圧倒的に多い。圧倒的に多いので、グループを形成して、まとめてテニスコートを抑える、ということをしている。
上手な人たちは、「テニスをちゃんとやろうとする気持ちなく、無残なフォームで、どこに飛んでいくかわからず、単にボールを打っているだけ」という人たちとは、一緒にテニスをやるわけがない。単なるストレス解消につき合わされたらかなわない。
結果、公営コートでは、「きっちりテニスをしようとする人」たちが締め出されるということになる。大衆社会の政治力学がここでもみられる。
たまにしっかりしている人たちが隣のコートでやっているのを見かけることがあるけれど、マナーもいいし、うれしくないテニス談義ももちろんない。多分、テニスというスポーツの難しさを通じて鍛えられた経験が、そうしたマナーなどを身につけさせているだろうと思う。
もっというと、公営コートで見かける若者はテニスをうまくなろうとしている人が多く、明らかにおじさんたちよりもマナーがいい。公営コートでは、「近頃の若者は・・・」でなく、「近頃のおじさんは・・・」の方が妥当する。社会においてもそうなりつつあるのではないか。

