01 友人・関係者など
2008年12月10日 (水)
2008年3月 1日 (土)
ボーン・上田国際賞
ボーン・上田国際賞が発表された。
知り合いが受賞したので、びっくりした。
彼とは、国際畑を歩みたいと思いつつ、NHKに入ったのだけれど、国内担当が中心だったので、「なんとかしたい」と、もがいていた頃に知り合った。かれこれ10年近く前である。
あまり注目されていないところの地道な報道が評価された、というのが受賞の趣旨のようである。
イラクで国連ビルが爆破されたときには、丁度プレス・ビリーフが行われていて、日本のプレスでは、彼だけが真面目に出席しており、爆破の瞬間の「揺れ」やその後の混乱の映像を流していた。「がんばってるなー」と素直に応援できる人だった。
彼は、スーダンとかシリアとか普通プレスが行こうとしないところを地道に取材して回っていたけれど、なんとなく、10年近く前に東京で会っていた仲間たちの勤務地を巡っているような気がしないでもない。
受賞趣旨から考えると、そうした地域で日本人が働くことの知ることのできる情報の価値は大きいということである。そういうところからの情報発信が増えたらいいと思うし、そういう情報を整理してまとめていく仕組みがあったらいいのに、と思ったりする。
2007年7月21日 (土)
同窓会・・・
平成9年に霞ヶ関に採用された人たちの同窓会に行ってきた。私は、10年近く先輩だけれど参加してしまった。
60人くらいいたけれど、彼らが採用されたとき以来10年ぶりに会う人たちで一杯だった。
乾杯の挨拶で私の方から、次のような話をした。
「みなさんが採用されたときにこう言いました。『みなさん同士が仕事で出会うときは、多くの場合、敵同士です。そうすると交渉も複雑になります。そうならないためにも、非公式に培われるネットワークとか信頼関係を大切にしてください。』そのときは、『この人、何を言っているのだろう』という顔をしましたよね。覚えてないでしょう?でも、今は理解してくれていると思います。」
それにしても、みんな、元気そうでよかった。
| 固定リンク
2006年8月14日 (月)
与論島に行ってきた
夏季休暇を利用して、家族4人で与論に住むUさんを訪ねてきた。
Uさんは、25年来の親友であり、6年前、パートナーと二人で与論に移住した。Uさんとパートナーは、情報化を推進するNPOを動かしたり、健康づくり事業を受託したり、広告・印刷関係の仕事をしたかと思えば、IT機器のメンテナンスをしていたり、与論に溶け込んで活動している。
まだ子どものいないUさん夫婦は、私の子どもたちを我が子のように可愛がってきてくれている。5泊6日の滞在中、リーフや埠頭での釣り(→刺身!)、浜遊び、スキューバダイビングなどに付き合ってもらった。私たちが帰るときには、「親戚じゃあ思うて、いつでも遊びにきてや」と言ってくれていた(ありがたや、ありがたや。)。
さて、Uさんたちの活動をみて、興味深いことが多々あるので、並べてみる。
○ 財政危機もあって離島振興の予算は細っており、与論も衰退している。一方で、沖縄には、基地対策から信じられないような額の予算が投入されている。Uさんたちの仕事を、沖縄に散在する小さな島でやろうとすると、相当の収入が見込まれる。しかし、敢えてそういうお金のない与論でやろうとするのは、何かしらの意気込みがあってこそだと思う。島にお金がないことを嘆かずに、知恵を絞ろう、という態度は立派だと思う。
○ Uさんは、情報化を推進するNPOを動かしているけれど、IT機器のメンテナンスができる人が島にいないこともあり、あまり儲けを考えずにメンテナンス・サービスをしている。その際のサービス料の価格設定が難しく、「そんな安くていいんですか?」「高い!」という反応があったりする。前者は「市場価格」、後者は「コミュニティのボランティア」という感覚を持っている様子である。
○ Uさんたちの活動は、開発援助機関の活動にとても類似している。違うのは、誰からもファイナンスを受けずに、自ら日々の収入を得ながら、地域振興に取り組んでいることである。「ファンドレイジングをしてもいいくらいだ」と私は思うし、JICAの青年海外協力隊(JOCV)の離島振興バージョンがあってもいいかもしれない、などと考えたりする。
○ Uさんの活動の進め方は、とても慎重である。島のコミュニティの中で濃密にできあがった関係を損なわないように気をつけている。また、「(商)習慣」に対する気配り・工夫がある。開発援助も、Uさんのような形でのコミュニティへの入り方をしたら、とても効率的かつ効果的に実施できるのではないかと思う。
○ Uさんたちは、6年前、縁あって与論に移住した。多くの移住者はそんなに長く与論に滞在することはほとんどない。ダイビングショップ・飲食店以外に自ら商売を起こした人もほぼいない。また、もっぱら外部要因によるトラブルにも巻き込まれていたりした。それでも明るく楽しく活動を続けられているコツを学びたい、と思う。
○ Uさんによると、与論に移住したのはいいけれど、しばらくして去ってしまう人が多い。その理由は、やはり人間関係のトラブルが多いとのことである。ただし、そのトラブルは、移住者と島の人たちとのそれではなくて、移住者同士のトラブルによるものがほとんどらしい、とのこと。移住者の典型的タイプを想像すると、わかりすぎるくらいわかる。
○ Uさんたちは、将来、与論での活動をしっかり根付かせたら、彼の故郷に戻ることになるだろう。Uさんには、世話をすべき(したい)近親者がいるし、やっぱり故郷を大切にしたいと考えているからである(根無し草の私とは違う。)。
まだまだいろいろ思うところはあるけれど、とりあえずこの辺で。
2006年7月15日 (土)
医学部・・・
パートナーは、40過ぎて医学生になった。
2年次からの編入であり、現在3年生である。
医学部進学前のパートナーの仕事は、9時5時で何とか終わらせることのでき、楽しめるものであり、かつ、一般的な勤務医よりも収入がよかった。
どうみても無理にリセットする職業生活ではない。そういったなかでの転身である。
医学部への進学を打診されたときには、即座に同意した。理由は聞かなくてもよかった。重たい覚悟があるのであれば、賛成する他ない。なので、まだしっかりと理由を聞いてはいない。
ただ、彼女の両親の説得が少し負担だった。
覚悟を決めた転身だったので、「いい医者になる」といいながら、この上ないくらい勉強に力が入っていた。たよりにならない私を尻目に、夜は10時に子どもを寝かしつけ、午前3時に起床して、6時まで勉強し、一通り家事をして、大学に出かける、というペースである。文学部出身なので、理系の科目に四苦八苦していた。
試験が近くなると私への負担も増える。5歳の子どもの土日の面倒は、どちらかというと、私の担当である。かくいう私も社会人学生をしていたり、国際協力関係のネットワーク活動をしていたりするので、自転車操業である。
そういう生活を1年間続けていたら、成績優秀につき奨学金がもらえることになった。大学の先生からは、家事や育児を言い訳にせずに、頑張っている姿が若い医学生の手本になっている、と言われ感激していた。
また、彼女の作成するノートは、ほぼすべて試験前にコピーされ学生の間で共有されていた。要するに試験対策の定番になっていた。
解剖学の講義・実習のノートに到っては、担当の先生が次年度の講義テキストに使用することになった。ここまでくると、唖然とする。
奨学金がもらえたのことは、私立で学費も高いので助かったという以上に、お金には色がある、としみじみ感じた。象徴的な意味の方がはるかに大きい。
立派な人がいるものである。そういう人がパートナーだと、ちょっと(ずいぶん?)大変かも。
2006年7月 2日 (日)
Iさんのこと
Iさんは、ある企業で、印刷物、CD、DVDなどのメディア関連の調達業務を担当していた。子供もいるいわゆるワーキング・マザーである。
一般的に、調達業務は男の世界である。民間企業では、受注額などを酒席で決めるようなことがあるけれど、彼女はそれを不真面目だと考えていた。生産現場で汗水たらして働く、日本の経済を支えている人たちに失礼だと言っていた。
きれいなオフィスで、パソコンに向かって優雅に仕事をすることはできるけれど、それではいけないと考え、現場を回った。一方で、同僚の多くは、発注者の強い立場を利用して、実態などに着目せず、買い叩くことばかり考えていた。
同僚たちの多くの強い立場を利用した「買い叩き」や折からの不況もあり、ボーナスさえ支払えない印刷企業もあった。そういった印刷企業の工場で地味に真面目に働く人たちに、「ボーナスを支払えるようにすること」が彼女のパーソナル・アジェンダになった。
「強い者が立場を利用して弱い者を収奪することを許してはならない」と彼女は言っていた。
そのため、生産管理や環境マネジメントの勉強し資格を取り、実際に現場に行き、どこを改善したら、どこまでコストを下げられるか、工場の担当者と話し合った。発注者の方からの現実に即した要請をしつつ協議をしていくことは、効率性の向上に大変に役立つことが身に染みた。
関わりのある企業は大きなものから小さなものまであるが、受注企業から、彼女は親愛の情を込めて「鬼のコストカッター」と呼ばれていた。事実、育児休業の2年間を挟み、約10年間担当していたけれど、その間、順調に発注価格を下げていくことができた。
当時、「ここだけの話」ということで、「工場の人たちとの協力と創意工夫で十数億単位のコストカットによる利益を会社に上げさせているのに、上司は評価しない」と彼女は漏らしていた。しかし、そういう上司との軋轢にもかかわらず、仕事ぶりは信頼されていたので、彼女の担当する発注額は膨れあがり、最終的には、500億円に達していた。
彼女は、いつも創意工夫を忘れない態度で臨んでいた。そんなこともあり、彼女の取り組みが、環境省の循環型社会白書に取り上げられた、というサイドストーリーもあった。このことについて、会長や社長は大いに喜んだけれども、上司は不機嫌だったそうだ。
同僚の多くが行うやり方では、現場を無視する結果になり、そうすると、ミスが出やすくなる。無茶な発注によるミスについては、同僚の多くは、受注者を怒鳴りつけることで満足していた。
しかし、彼女は、現場と相談してミスが出にくくするようなシステムを作ろうと腐心したこともあり、十分に理由があるときに、彼女は立場が悪くなることを覚悟して、ミスについて受注者側をかばうこともあった。
成果主義の下、彼女の企業でも、自分のやったことについて年に1回プレゼンテーションを行うことになっていたが、心無い同僚が、彼女が現場を回って得た情報に基づく資料を、自分がやったこととして、プレゼンテーションしたことがあった。
彼女は何も言わなかった。しかし、上司を含め、彼女を評価しない人たちも実は、評価せざるを得ない状況にあること知って、彼女はかえって安心したようだった。
私は状況から推測するに、上司・同僚の多くが、彼女を評価した時点で、自分たちのサボタージュがバレることになるので、彼女を不当に評価しようとしていたのではないかと推測している。
そういったなか、仕事も一段落し、やれることはやったということもあり、彼女は転身を決意した。もっと公共的な価値に関係する問題に関わりたいと考えた。
退職が決まって、最後の挨拶のために件の印刷工場を訪れた。印刷工場の工場長は、「社員にボーナスを支給できるようになったのはあなたのおかげです。」と言い、彼女は工場長と二人で泣いた。
退職当日、売り上げが1兆円もあるようなメーカーの取締役が、遠方から駆けつけてきて、彼女の退職について涙を流して惜しんだ。彼女は、20歳近くも年長の男性が流してくれた涙を「私の宝物」と言っていた。
目立たずおごらず地道に現場を歩き取り組んだことを心から感謝してもらえた涙を想像すると、私とて胸が熱くなる。
多くの同僚も彼女の退職を惜しんでくれたけれども、一方で、金融機関から転職してきた上司からは、「お前の代わりならいくらでもいる。やめるならどうぞ。」と引き止めることはしなかった。
彼女と私は、大学時代からの付き合いである。当時、二人ともコンプレックスの塊といってよく、社会人になっても、しばらくは使い物にならなかったのではないかと思う。
私自身、現在、曲がりなりにも社会人として仕事をしていられるのは、彼女の頑張りを横目で見ていたからかもしれない。
彼女は覚えているかどうか分からないけれど、大学時代に「あなたは、自分の正しいと思う道を歩んで欲しい。あなたはあなたの戦いをしっかりと戦って欲しい。応援する。」という趣旨のことを言った。彼女は立派に戦っているんだと思う。「自分が正しい」と思う道を突き進んできている。
ただ、そんな彼女でも時々気弱になるときがある。少数派の宿命だろう。そういうときに、「そのままでいいんだよ」というメッセージを発し続けることが、せめて私にできることかな、と考えている。
・・・・・・・・・
改めて、「自分は彼女のように戦えているのだろうか?」と自問してみる。「全然駄目」なんて声がどこかから聞こえてきそうである。
また、彼女のような、目立たず地道に取り組んでいく人が「割を食わない」社会であって欲しいと願うし、これまでのような形での活躍を心から願っている。
2006年5月22日 (月)
何になりたい?
高校のとき、倫理・社会の授業で、「将来何になりたいの?」と問われ、「人のためになる仕事がしたい、でも具体的になにをやっていいのかわからない」と答えたのを覚えている。
それに対して先生は、「そう思えるように君を育ててくれたお父さんやお母さんに感謝しなさい。」とだけ答え、具体的な話にはならなかった。はぐらかしに不満だったけれど、今にして思えば、ベスト・アドバイスだったような気がする。
自分でじっくり考えて、迷いに迷って結論を出しなさい、というアドバイスだったのではないかと思う。
今もそういう気持ちは変わっていないけれど、ストレートに取り組んでいるか、というとそうとはいえないのは、少し残念である。
しばらく前、高校の友人に会ったとき、「こいつ、高校のとき、哲学者になりたい、なって言ってたんだぜーーー。」なんてからかい半分で言われたことがある。「今でも、そう思っているよ。」と答えたら、場がしーんとなってしまった。
現在、なんとなくそれなりに幸せに暮らしているのは、17歳くらいのときに考えていたことを基準にして、十分ではないにせよ、大きく外れていないからかもしれない。これはそのまま、子どもっぽいと言われる原因になっていると思うけれど。
その他のカテゴリー
01 友人・関係者など | 02 政治・行政 | 03 人事・人材育成 | 04 子供の教育 | 05 書籍・映画など | 06 テニスなど | 07 国連 | 08 国際協力 | 09 その他


